日記・コラム・つぶやき

2018/04/06

「小水力発電が地域を救う」の感想

佐藤知一さんのBlogで「小水力発電が地域を救う」が紹介されていたので読んでみた。
読みやすかったので簡単なメモ。

【参考】
書評:「小水力発電が地域を救う」中島大・著 : タイム・コンサルタントの日誌から

Life is beautiful: 私が事故後、脱原発派に転向した一番の理由

【1】本を読んでみて、小水力発電の技術だけでなく、小水力発電を中核とした地域経済のエコシステム、そして、超低金利が普通となった現代において資本主義の終焉が間近に語られるようになった今、今後の文明の行き先みたいなことまで妄想してしまった。

【2】P.17-18
世界的に、経済のグローバル化と、それに抵抗する動きの対立が目立つようになりました。
(中略)
私自身の意見は、世界はモザイクのように個性的な市場がたくさん存在するのが自然だということになります。

P.18
東京の生活はお金さえあればとても便利ですが、いざ物資が入らなくなったら何もできません。
分業が進むと効率が上がりますが、効率性は脆弱性と裏表の関係にあります。

震災や福島原発の事故があった時の東京、関西を思い出せば、都市の生活は非常に脆いと身を持って感じた。

【3】P.176
町育ちの人たちばかりになると、社会が脆くなります。

P.177
私は、都市は人を育てない、と考えています。
都市は競争社会です。腕に覚えのある人が集まるウィンブルドンのようなものです。

一方、人を育てるというのは、とても冗長な営みです。
多様な才能を丁寧に育てないと優秀な人材は育ちませんし、育った優秀な人材がその時代の社会に適合するとは限りません。

これも同感。
だから、グローバル化に反対する人が欧米でも日本でも多くなったような気もする。
冨山和彦さんが提唱する「グローバル経済圏、ローカル経済圏」の話(「なぜローカル経済から日本は甦るのか」)もこれに通じる。

【4】P.22
小水力発電の可能性のある場所を開発すれば、山間地は電力の面で自立できるわけで、地域にとっては十分に大きな電力だと言えるのです。

p.47
農産加工品などの市場開拓は簡単ではありません。ところが、小水力発電の電気は、FITのおかげで必ず売れるという利点があります。

P.38
小学校の存続は、地域が存続するかどうかの先行指標と言っても過言ではありません。
子育て環境の悪化で若い夫婦がいなくなるだけでなく、子どもたちの帰属意識が薄れ、高校・大学を卒業した後戻ってくる動機が弱くなるからです。

子育てが重要な理由は、子供たちが大人になって、また地元の経済を活性化させる、というエコシステムの一部であるからだろう。
だから、今の日本では少子高齢化の危機意識が高まっているわけだ。

P.66
山村の土建会社は小水力発電で生き残れ

P.67
建設業者は水力発電と相性がいい。

P.138
(村長が発言)
道路をつくる予算を使って、代わりに水力発電所をつくれば、毎年、お金が入ってくる。
そのお金はムラのために使うことのできる自由なお金だ。

本来、日本は山が多い国なので、小水力発電に向く場所は多い。
小水力発電による発電量は少ないかもしれないが、村の住民の電気を賄うことは可能だし、今は売電することで安定的に利益も得られるメリットがある。

一方、村の土建業者にとって、小水力発電の建設、修繕、復旧などの作業は自分達のノウハウをそのまま流用できるので、技術的にも相性が良い。
しかも、公共工事の変動に左右されずに、売電収入が安定的に得られるメリットもある。
そして、土建会社の経営者は、経営面でもコスト感覚の優れた人達が多いので、小水力発電のようなビジネスを上手く回すのに向いている。
また、村の土建会社の経営者は、その地域の有力者の一人の場合が多いので、地域社会の取りまとめ役にも最適だ、と言う。

この辺りの内容は、書評:「小水力発電が地域を救う」中島大・著 : タイム・コンサルタントの日誌からの記事で詳しく解説されているので分かりやすい。

【5】P.145
自分達が主体になれば、地域が長く生き残れる

しかし、過疎地域で小水力発電を実現するには、地域の人達自身がリーダーシップを発揮して、彼ら自身で運営する仕組みが必要だ。
つまり、小水力発電という中核システムを基盤として、地域経済の持続的発展を目指すように、地域内の利害関係者が団結する必要がある。

「補償金は人を幸せにしない」「オープンにすることで地域利益を確保する」などのノウハウも書かれていて面白い。

【6】P.129
水力は高いは本当か?
水力発電は太陽光や風力に比べて初期投資の金額が大きくなるからです。

P.130
そのかわり、水力発電には、太陽光や風力よりも設備の耐用年数が長いことと、年間発電量が多いことの二つの利点があります。
100年間の総費用を100年間の総発電量で割って平均コストを算出すれば、おそらく太陽光や風力と同じか、むしろ安くなるはずだと考えています。
ただし、この計算では金利を一切考慮していません。

P.130
ソフト・エネルギー・パス」で「長期割引率はゼロもしくは若干マイナスと」すべき、と書いて以来、エネルギーシステムの持続可能性の議論において、割引率をプラスで考えるか、ゼロ以下にすべきか、経済はと環境派の対立点の一つになってきました。

P.131
割引率をゼロとする立場に立てば、金利を考えない100年間の平均コスト比較に合理性があるはずです。
また、現実の話、今の超低金利は一時的な現象ではなく、これからの標準的な状況だと考えています。

P.131
そもそも、高度経済成長期のような、リスクを取らずに金利が得られるという経済状況がむしろ珍しく、イスラム金融ルールのように、リスクを取らなければ金利を取るべきではないという経済状況の方が歴史的にはむしろ普通だったのではないでしょうか。

水力発電は他の再生利用エネルギーよりもコストが高いか否か、という問題点は重要だ。
筆者の意見では、長期的な割引率をゼロ以下とみなせば、むしろ安くなるはず、という。
理由は、現在の超低金利は一過性の事象ではなく、今後の標準的な事象とみなせるから、と。

この点に関しては、僕も同感。
既に、日本だけでなく欧米でも経済成長率がかなり落ち込んでいるのは誰が見ても明らか。
そして、日本や欧米の超低金利は一過性の事象ではなく、今後も続くだろう、とたぶん誰もが心の中で感じているのではないか。

ティール組織」でも、P.491にて「経済成長率がゼロの社会では、利子を産まないかマイナス利子を生む新しいタイプの通貨に投資しなければならなくなると考えている」という一節がある。
将来の経済について深く考えている人たちは、金利がマイナスになる経済、つまり資本主義の終焉について既に色々考えているのだろう、と思う。

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2018/03/23

自分の天分を知るとは何だろうか

ネットでウロウロしていたら、『物理の道しるべ―研究者の道とは何か』に関して、物理学者が自分の天分を知る事について記事があったのでメモ。
すごく心を揺さぶられた。
以下はラフなメモ。

【参考】
『物理の道しるべ―研究者の道とは何か』を読んだ - shiroshippo's blog

(引用開始)
少し前に読んだ。
元は雑誌『数理科学』の連載で,物理学者たちがその人生について振り返ったエッセイを集めたもの。
出てくる先生の人生も,運とか人のつながりで決まってるんだなと思った。

p.154, 155から引用。
私が物性理論という分野を選ぶまでにはいろいろな紆余曲折がありました。
高校時代は数学が3度のご飯より好きで,東大の理科I類に入学したときには当然数学科に進むつもりでいました。
実際,当時の雰囲気は最もできる学生が数学科に進学するという感じだったのです。
ご存じのように,東大では最初の2年間は駒場で教養課程を修了し,その後(実際は1年の夏休み明けごろに)学部・学科を決めるという進学振り分け制度が行われています。
その駒場での2年間,自分の適性というものを試してみるチャンスがあったわけです。

まず,大きな期待を持っていた数学ですが,すぐに自分には無理だとわかりました。
解析は良かったのですが,線形代数の講義が,いきなり体とか環とか抽象的なものばかり出てきて,公理・定理・補題…の連続に頭が痛くなってしまったからです。
その反動か,今度はドイツ文学や哲学に惹かれて文学部に進もうかと考えたり,そうかと思うと今度は化学こそは現実の世界に最も肉迫できる学問だと考えていろいろ勉強したりしていました。

ちょうどそのとき,化学の授業で「試薬分析」の課題がありました。
いろいろな試薬を使った反応を見て,試験管の中の未知の物質Xを決定せよ,という課題で,私はその日が来る前から十分な準備をして,「完璧な」場合分けの系統図を作り,どのような物質Xに対しても必ず決定できる方法を持って臨んだわけです。
ところが当日になると,匂いを嗅いだりして大体の「あたり」を勘でつけて,2, 3個の試薬を試して「わかった。
これはXXだ」と正解を出してしまった友人が近くにいたのです。

結局最後の一人になってようやく分析を終えた私に,担当の助手の先生が「君は理論に進んだ方がいいと思うね」とおっしゃったとき,人にはそれぞれの天分というものがあると実感しました。
抽象性と具象性の1次元座標を作ったときに学問分野に応じた抽象度というものがあって,数学を左端だとすると,素粒子理論,物性理論,物性実験,素粒子実験,化学,生物,医学というように並んでいてそれぞれの人に最適のところがあるのだと思います。

こういう風に,大学で何を専攻しようか迷っていた人は結構おおい。
(引用終了)

自分では理解できない現象に出会った時、自分の中でどう対処するのか?
現実問題として、生きていく中で、自分の中の知的誠実さを維持しながら、どうやって折り合いをつけていくのか?

40歳を過ぎてもまだ分からない人もいるし、20代で使命を見つけた人もいる。
自分が本当にやりたいこと、自分の使命とは何だろうか?
自分の天分とは何だろうか?

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2016/03/12

「社会人のためのシンポジウム発表入門 リーン論文作法」のリンク

@sakaba37さんの論文作法の資料が素晴らしいのでリンクしておく。

【参考】
社会人のためのシンポジウム発表入門 リーン論文作法: ソフトウェアさかば

和文論文誌 投稿のしおり 5.1 査読の基準

社会人が論文を書く時、慣れていないと正直書きにくい。
論文にはそれなりのお作法がある。
論文の査定基準として、たとえば、新規性・有効性・信頼性・了解性の観点がスライドでも紹介されている。
電子情報通信学会の査定基準らしい。

和文論文誌 投稿のしおり 5.1 査読の基準

(引用開始)
5.1 査読の基準

  基本的に,次の4条件について査読を行う.

(1) 新規性:投稿の内容に著者の新規性があること.
(2) 有効性:投稿の内容が学術や産業の発展に役立つものであること.
(3) 信頼性:投稿の内容が読者から見て信用できるものであること.
(4) 了解性:投稿の内容が明確に記述されていて読者が誤解なく理解できるものであること.

 信頼性については必須の要件であるが,新規性と有効性についてはいずれかが高ければ採録の対象となる.
 すなわち,新規性が高い場合は,有効性はさほど高くなくても採録の対象となり,有効性が高い場合は,新規性がさほど高くなくても採録の対象となる.

 新規性,有効性の評価では,できるだけ視点を広げて論文の良い点をみつけるようにする.
 このような観点で評価するときの参考として,新規性,有効性,信頼性に関するチェック項目を設定した.
 もちろん,これらのチェック項目をひとつでも満たす論文は採録可能であるというわけではない.
 論文の信頼性を確認したり,新規性,有効性に関する客観的な主張を明確にしたりする際に,参考にして頂きたい.
(引用終了)

4つの項目のうち、新規性や有効性の部分が書きにくいのではないだろうか、と思ったりする。
なぜなら、自分が書きたいと思う内容は、どこに今までにない新しい観点があるのか、ということを説明するのは難しいし、自分がいくら有効だと主張してもその根拠を定量的に示さなければ無意味なので、その裏付けにすごく労力がかかるから。
もちろん、信頼性や了解性も難しい。

論文であれ、報告資料であれ、発表資料であれ、@sakaba37さんのスライド17ページ「リーンな構成の論文」の構造はすごく役立つと思う。
論文全体の流れを組み立てる時に、新規性や有効性を盛り込むのが難しいなあ、といつも思っているが、「研究内容や結果の裏返し」が有効性の説明、「研究内容や結果が過去に提案されなかった」ことが新規性の説明、という観点はすごく参考になった。
確かに、イントロとまとめの部分は、後から修正する場合が多いから。

参考にしたいと思う。

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2015/11/12

経済学と法律に関するメモ

経済学やビジネス実務法務を勉強し始めてみて、感じたことをラフなメモ書き。
間違えている部分は後で直す。

【0】経済学や法律の内容を読み込んでみると、その背景にある思想や哲学は、自分の常識と違うロジックや観点に基づいているのに気付く。

【1】経済学の理論の前提では、人間の行動基準に仮定を置く。
つまり、人間は経済人モデルであると仮定を置く。

例えば、人間はすべての情報の完全性にもとづき、 合理的な意志決定を行う全知の人間である。
例えば、人は経済活動において合理的に利益を追求する。

つまり、人間は、オマケやブーム、偏った情報に基いて恣意的に行動する存在ではない、と勝手に決める。
感情的に行動を決めるのではない、と。
そこから、利潤極大化や費用最小化のロジックに進んで、一つの経済モデルを作り上げる。

しかし、人間を全知全能で合理的な意思決定を行う存在であると限定するのは、現実的でない場合もある。
だから、そういう場面では、経済人モデルに基づくモデルは現実の経済現象を説明できない。
そこで、別の仮定から経済モデルを作り、何とか現実の経済現象を説明しようとする。

すると、結局、どの経済理論が正しいのか、分からなくなる。
実際、ケインズ学派、新古典派、マネタリストなどたくさんの学派があるが、どれも、ある程度の現象は説明できるが、すべての経済現象を一つの理論でカバーできていないように思える。

経済学には、古典派経済学の第一公準とかコースの定理のように、まるで数学の公理体系に当てはめたかのような用語が出てくるが、とても怪しい。
数学の公理体系を理論として打ち出す場合、そもそもそれら公理がwell-definedであるか、つまり、無矛盾でないかを検証して、一連の補題や定理を導こうとする。

しかし、経済学の公準がそもそもwell-definedであるかどうか、検証しているフシもない。
すると、経済学の公準にはそもそも矛盾が入り込んでいるのではないか?
数学や物理のように、論理的な基盤の上に緻密な理論を作りあげようとしているが、実際はそこまで到達できていない気がする。

でも、マクロ経済学もミクロ経済学も、現代では知っておかねば食い物にされてしまうような気がする。
政治の場でも、ほとんどが景気対策や経済対策に関することばかり議論していることからしても、経済学の知識は必須になっているように思える。

【2】法律の基本である民法のロジックを読んでみると、人間は自然人モデルであると仮定を置く。
例えば、人は売買契約などを自己の意思基づいて、自由に承諾したり拒否することができる能力を持つ、と考える。
つまり、人は、社会の中で自由に契約を結ぶ時に、詐欺や脅迫、間違いなどに巻き込まれても、それに対抗して正しい判断を下せる、という前提を持っているように思える。

例えば、詐欺にあった時、善意の第三者に自分の財産が渡されてしまったら、自分の手に戻すことが基本はできない。
実際、新聞でも、詐欺にあった高齢者は、自分の財産(土地とか株とか色々)が他の第三者に渡った場合、取り戻せないから泣き寝入りしているような記事も見かける。

つまり、法律を読んでみると、だまされた人はスキがあるから、責任を追うべき(帰責)みたいな思想があるように思える。
すなわち、人は自由意志を持ち、自分で正確に判断できる能力を持っているのだから、騙される方が悪い、みたいな発想があるような印象を受ける。

これも一つの人間の見方なのかな。
人間という存在をどんな観点で評価するのか、という違いで、理論が分かれて、色んな結論が出てくる。
そういうことを考えると、自然科学ではなく、人間を対象にした学問は、人間が多様な存在であるがゆえに、たくさんの理論がありすぎて分かりにくい部分があるなあ、と思ったりする。

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2015/08/29

ブログを書き続けることの意味と効果

お知り合いの方から、こんな質問を受けたので、自分の考えを書いておく。
ラフなメモ書き。

【1】質問内容:
「2日に1度のペースで記事を書かれており、更新頻度も質も高いですが、どうやったら更新頻度を高めて、記事の質も高められるのでしょうか?(書き方のコツなどあれば知りたいです)」

こんなに書き散らし続けているBlogに読者がいるのがとても嬉しい。
以下、自分の考えを書いておく。
たぶん、そんなに独自性はないと思う。

【2】動機を大切にする

【2-1】ブログは日記に近い。
何かを書こうとする時、やはりパワーが要る。
僕の場合、ソフトウェア開発の仕事にすごく不満や疑問をずっと持ち続けている。
それが動機になっている。

なぜ、こんなに残業が多いのか?
なぜ、ソフトウェア開発はクリエイティブな仕事と言われるのに、実際は、大量のメンバーを投入して労働集約的にゴリ押ししようとするのか?

本来のあるべきソフトウェア開発プロセスは何なのか?
ソフトウェア開発には、どんな技術や思想が重要なのか?

ポジティブな動機と言うよりも、ネガティブな動機の方が多い。
そこから、問題意識を持ち、あるべき姿を調べたり、考えたりして、それをメモ書きしていく感じ。

【2-2】もう一つは、新しい技術やアイデアをメモしておくこと。
以前はRSSのフィード記事、最近はFacebookのタイムラインで流れる記事を見て、これはクリップしておきたい、と思う記事や内容をBlogにメモしている。
僕の場合、記事の内容にある技術やプロセス、思想は完全に理解できてなくても、まずはBlogに感じたこと、疑問点を書いておく。

Blogなら、外出先や会社でも見れるので、その記事を何度も読み直したり、調べたりして、理解を深めることもできる。
Blogが紙の日記よりも良い点は、リンクが貼れることだ。
Blogはリンク一覧だけでも有用だ。
そのリンクを辿ることで、たくさんの情報に触れることができる。

【2-3】僕の考えでは、Blogは日本人に向いたWeb構造を持つと思う。
枕草子や徒然草のように、日本人は古くから日記形式で記録を残してきた。
日本人には、日記という形式が向いているのではないか、と思う。

【3】メッセージを明確に持つ

【3-1】文章にはメッセージが重要。
自分の意見や主張を明確にすることが大事。

野口悠紀雄さん著の「「超」文章法」の最初にこんな事が書かれている。

「仕事を効率的に進めるには、書類の整理をうまく行う必要がある」はメッセージではない。
「書類は内容別に分類するのではなく、時間順に並べるのが良い」がメッセージだ。

なかなか明確なメッセージは書きづらいけれど、自分の意見や考えを明確にする、という作業は、他人と議論する時にすごく重要だ。
自分の立場や考えを明確に持つからこそ、議論が深まり、問題の本質が見える時があるから。

【3-2】ブログを何度も書いていると、似たような構造の文章を書く時がある。
僕の場合、問題の提示→解決の方向性→効果や課題 みたいな流れをよく書いていると思う。

例えば、「勝つための論文の書き方」によれば、「?から始まり!で終わる」とストーリーが流れるように書ける、とある。
確かに、疑問点や問題意識を最初に提示すると、それを解決するような考えを書きやすく、それをまとめると、結論やメッセージを出しやすくなる。

問題の提示は、そんなに難しいものを出す必要はない。
むしろ、当たり前と思っていることに対して、疑問を投げかける方がいいと思う。

論文作成の技法part1~論文の構造: プログラマの思索

論文作成の技法part2~論文作成の観点 : プログラマの思索

【3-3】ブログを何度も書くと、同じような接続詞を何度も書く時がある。
接続詞はすごく重要だ。
文章の流れが分かりやすくなるだけでなく、相手に、次はこんな流れになるのですよ、と事前に提示することにも使えるからだ。

僕の経験では、「では」「そこで」を大切にするようにしている。
「では」を使うと、現状に対し、こんな問題が提示できるのだが、皆さんはどう思います?みたいに使う。
「そこで」は、自分はこんなアイデアを考えている、するとこんな効果が出るのでは、みたいに使う。

この二つはなかなか使いこなせないけど、上手く使いたいと思っている。

また、「つまり」「すなわち」も多用する。
一つのアイデアや意見を、他の言葉で言い換えたり、他の状況で置き換えたりする時に使っている。
僕の場合、「つまり」「すなわち」を使いながら、自分の考えを深く掘り下げている感じ。
でも、多用しすぎると、文章がくどくなる感じ。

英語なら「that」に相当するから、自然に使えると思う。

【4】BlogはSNSのホーム

【4-1】「必ず結果が出るブログ運営テクニック100 プロ・ブロガーが教える“俺メディア"の極意」にも書かれているが、Webではログが重要。
ログはGoogle検索でいくらでも欲しい情報にアクセスできるし、ハイパーリンクがあれば、たくさんの記事と関係性を持てる。
Blogは記事(ログ)の蓄積の集合体なので、記事が多いほど、資産になる。

逆にTwitter、Facebook、LineなどSNS全盛だけど、それらの記事はタイムラインに流れて埋もれてしまう。
単に消費されるだけ。

最近は、SNS全盛だからこそ、Blogの価値が再認識されていると思う。
Blogが自己紹介のツールとして使えるのだ。
また、SNSにBlogの記事をリンクすれば、Blogへの流入も多くなり、相乗効果が上がる。

【4-2】Blogの記事を貯めておけば、色んな効果が出てくる。
僕の場合、Blogの記事は講演の元ネタになるし、最終的には出版した書籍のアイデアの宝庫になっている。
蓄積された思索やアイデアが残っているからこそ、色んな講演や記事執筆がやりやすくなる。

本屋でよく「書き下ろし」という文庫本を見かけるけれど、あのスタイルはすごく難しいと思う。
1冊の本は20万字必要と言われるが、Inputの情報は少なくともその10倍以上は必要なはず。
それらを圧縮して濃縮して、一つのアウトプットが出てくる。
ゼロから作り出すのはすごく大変なはずだ。
だから、日頃からたくさんのアイデアを貯めておかないと、ライターという職業はやれないと思う。

【4-3】個人的には、倉貫さんのBlogはすごいなあ、といつも思う。
「受託開発はディフェンシブ」「アジャイル開発では当初に想定した機能を”全部”つくらない」など、問題の本質を見抜いた記事をBlogでたくさん公開されている。
優れた記事をBlogでたくさん公開されているからこそ、たくさん講演できて、出版もできているのだろうと思う。

Social Change! ソニックガーデン SonicGarden 倉貫義人のブログ

上記のアイデアを今後ももっと煮詰めたいと思う。

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2015/03/21

これはあなたの人生です

holstee社のポスター「this is your life」の文章が素晴らしいのでリンクしておく。

【参考】
holstee社のポスター「this is your life」を無料でダウンロード! - ベランダガーデニングの作り方とおしゃれな雑貨VERANDAHER

「HOLSTEE マニフェスト」読んでみてください:An Agile Way:ITmedia オルタナティブ・ブログ

「これはあなたの人生」、とある会社の美しくも力強いマニフェスト | Lifehacking.jp

【引用】
This is your life.
(これはあなたの人生です。)
Do what you love, and do it often.
(自分が好きなことをやりなさい。そして、どんどんやりなさい。)

If you don’t like something, change it.
(何か気に入らないことがあれば、それを変えなさい。)
If you don’t like your job, quit.
(今の仕事が気に入らなければ、辞めなさい。)

If you don’t have enough time, stop watching TV.
(時間が足りないのなら、テレビを見るのをやめなさい。)
If you are looking for the love of your life, stop;
(人生をかけて愛する人を探しているなら、それもやめなさい。)

They will be waiting for you when you start doing things you love.
(その人はあなたが好きなことを始めた時に現れます。)
Stop over analyzing, life is simple.
(分析しすぎることをやめなさい。人生はシンプルです。)

All emotions are beautiful.
(すべての感情は美しい。)
When you eat, appreciate every last bite.
(食事をひと口ひと口味わいなさい。)

Open your mind, arms, and heart to new things and people,
(新しい物事や人々との出会いに、心を腕をそして感情を開きなさい。)
we are united in our differences.
(私たちはそれぞれの違いによって結びついているのです。)

Ask the next person you see what their passion is,
(次に出会う人々に、何に情熱を傾けているか聞きなさい。)
and share your inspiring dream with them.
(そしてその人たちにあなたの夢も語りなさい。)

Travel often: getting lost will help you find yourself.
(たくさん旅をしなさい。道に迷うことで、新しい自分を発見することでしょう。)
Some opportunities only come once, seize them.
(ときにチャンスは一度しか訪れません。しっかりと掴みなさい。)

Life is about the people you meet,
(人生とはあなたが出会う人々であり、)
and the things you create with them
(その人たちとあなたが作るもの。)

So go out and start creating.
(だから待っていないで作り始めなさい。)

Life is short.
(人生は短い。)

Live your dream, and wear your passion.
(情熱を身にまとって、自分の夢を生きなさい。)

【感想】
自分の中で、あるべき姿は持っているし、どの方角へ進めばいいか、何となく分かっているのに、気持ちが乗らなくて一歩を踏み出せない時がある。
そんな時に勇気づけられる。

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2014/12/04

「ローバー、火星を駆ける―僕らがスピリットとオポチュニティに託した夢」の感想

ローバー、火星を駆ける―僕らがスピリットとオポチュニティに託した夢」を読んだ。
感想をメモ書き。

【参考】
ローバー、火星を駆ける―僕らがスピリットとオポチュニティに託した夢(スティーヴ スクワイヤーズ/Steve Squyres/桃井 緑美子) - ただのにっき(2008-02-05)

404 Blog Not Found:書評 - ローバー、火星を駆ける

2014年12月3日に、小惑星の岩石を持ち帰るために、はやぶさ2号が飛び立った。
この本はもっとスケールが大きく、火星探査の調査機オポチュニティが、10年以上も稼働していることだ。

気に入った点は2つ。
一つは、ソフトウェア開発のプロジェクトリーダーの立場にいるので、NASAの案件を取る試行錯誤、案件開始後に火星調査機の製造を巡る試行錯誤は、とてもリアルに感じる。
そして、火星に到着後に火星探査機が水の痕跡を求めて調査しているのを地球でフォローしているチームは、まさにシステム稼動後の本番運用フォローの部隊と同じだ。

もう一つは、科学者とエンジニアの宿命的対立と、それを乗り越えた科学者とエンジニアの共同作業による成果の偉大さだ。

つまり、科学者の立場は、真実の探求、自然界の仕組みの探求、制約なしの研究の結果を重視する。理想主義者。
一方、エンジニアの立場は、技術的課題の単なる解決ではなく、最も優れた方法で問題解決する。限られた予算、開発スケジュール、納期の制約の下、「まずまずのところ」で折り合って解決する。がんこな現実主義者。

しかし、科学者とエンジニアは宿命的な対立構造があるが、それを乗り越えたら、偉大な成果が得られる。

そんなエピソードが満載で、読んではらはらドキドキして面白い。

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2014/01/11

論文の文章作法の悪文パターン

「超」文章法」を読みながら、論文の文章作法の悪文パターンをまとめてみた。
ラフなメモ書き。

【参考】
こんな本を読みました。: 「超」文章法

論文作成の技法part1~論文の構造: プログラマの思索

論文作成の技法part2~論文作成の観点 : プログラマの思索

論文作成の技法part3~論文作成のIT技術: プログラマの思索

【0】日本語の文章を書くのは難しいと思う時がある。
書いた文章を後で読むと、違和感があったりする。
他人に読んでもらうと、自分の思いや意見をなかなか汲み取ってくれない。

小論文を書く場合はもっと難しい。
ストーリーラインを決めたとしても、筆が流れるまま書いてみて後で読むと、本当はこう書きたかったのに、という気持ちになる時がある。

「超」文章法」などを読んでみて、論文の文章作法の悪文パターンがあることに気づいた。
そんな悪文パターンに陥らないように、自分のために書いてみる。

【1】法律文・主語述語泣き別れシンドローム・主語述語ねじれシンドローム

アンチパターンとしては、主語述語ねじれシンドローム・主語述語泣き別れシンドロームがある。
主語述語泣き別れシンドロームとは、主語と述語が離れているために、主語がどれなのか、分かりにくいこと。
主語述語ねじれシンドロームとは、主語に対応しない述語が現れること。

いずれも、日本語では、主語と述語が離れていて、最後の述語が出てくるまで、肯定なのか否定なのか分かりにくいという特徴(弱点)から発生している。

日本語の文章は、小説なら長文でもよいみたいだが、最近の流れは、論文調ならば、複文よりも短文にしろ、という方針が多い。
短い文章の方が、論理関係が分かりやすい。

複文になったために分かりにくい文章の悪例としては、法律の文章が多い。
例えば、「「超」文章法」P190では、日本国憲法前文を複文の問題点としてあげている。

日本国憲法前文 - Wikipedia

(引用開始)
われらは、いづれの国家も,自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
(引用終了)

日本国憲法、英文付

(引用開始)
We believe that no nation is responsible to itself alone, but that laws of political morality are universal; and that obedience to such laws is incumbent upon all nations who would sustain their own sovereignty and justify their sovereign relationship with other nations.
(引用終了)

日本語の文章では、「われらは」「いづれの国家も」の2つの主語が出てきて、論理関係が分かりにくい。
「法則は」「従ふことは」も主語のように思える。
上記の文章は複文なので、論理関係を読み取りにくいのだ。
昔の日本人の政治家の演説もそうだったが、文章が長いので、何を言いたいのか、分からなくなる。

それに比べて、英文の場合、Weが主語で、believeが述語であることがすごくよく分かる。
英文の方が分かりやすい理由は、thatやwhich、;を使って、論理関係を明らかにしているから。

thatや「;」は、「すなわち」に言い換えられる。
whichのような関係代名詞は、主語にかかる長い修飾詞の代替として使われている。
だから、論理関係を読み取りやすい。

法律の文章が理解しにくい最大の理由は、上記のような複文になっているからだろうと思う。
最近なら、消費税10%の時期の解釈をどうとでも取れるようなニュースもあった。
法律や政治では、故意にあいまいで分かりにくくするのが良いのだろう。
しかし、論文のような文章を書く時は、法律文は真似ない方がいい。

【2】飾りすぎの主語

飾りすぎの主語アンチパターンとしては、「「超」文章法」には、以下の例が挙げられている。

黒い目の綺麗な女の子

この表現は、8つの異なる意味に解釈できるらしい。
つまり、修飾詞が長すぎて、論理関係が分かりにくくなっている。
一方、英文ならば、関係代名詞という手段があるので、より明確に表現できる。

また、英語は、句読点の種類が多い。
「.」>「:」>「;」>「,」の順で、文章の区切りの意味が変わる。
その分、論理関係の強弱もつけやすい。

逆に日本語の文章は、句読点の種類が少ない。
古文などを読むと、古い日本の文章はとても長く、句読点の意識が薄いように思える。

最近の日本語では、主語にかかる修飾詞が長くなる場合、補足説明として「()」を使うやり方がある。
あるいは、「:」記号を使って、「すなわち」「つまり」の意味で使うやり方もある。
句読点は単に、文章を区切るだけでなく、論理関係をつなげるために使われるべき。

【3】他人事表現・キツネ文・では文・アリバイ文・言い訳文

他人事表現とは、「~と思われる」「~と言われている」という文体が多いアンチパターン。
論文のような文章では、自分の意見を主張するのがメイン。
だから、「私は~と考える」「私は~と主張する」と書くべき。
言い切ることが基本。

似たアンチパターンとして、キツネ文・では文がある。
キツネ文は「マルクスによれば」「ケインズによれば」と他人の文章を引用する文体。
では文は「アメリカでは」「経済学では」と上から目線で書く文体。

いずれも、自分の意見を言い切る文体ではないから、書いた人はどんな考えを持っているのか、何が言いたいのか、分からない。

他のアンチパターンとして、アリバイ文・言い訳文もある。
例えば、「私はこの問題の専門家ではないのだが」のようなアリバイ文、「残念ながら紙幅も尽きた」のような言い訳文。
こんな文章はそもそも必要ない。
自信がないから、こんな文章を書くだけ。

ChikirinさんのBlogでも、日本人の上司には「AともいえるがBともいえる」と言う人が多いという指摘もある。
その事象は、単に自分の意見を主張できない弱さを表明しているだけ。

「AともいえるがBともいえる」とか言う人の役立たなさ - Chikirinの日記

日本人の謙譲の意識が強すぎると、こんな文章が増えていくのかもしれない。

【4】一般論

「~が一般的である」という文章は、さんざん考えさせたあげく、なんだ一般論なのか、と読者をがっかりさせる。
読者にとって不快感が残る。
論文の文体は明確な方がいいので、「一般に~」と冒頭に宣言するのが良い。

日本語の文章では、述語が最後に来るので、一般論のようなアンチパターンが出てくる。

【5】必要性の羅列文

「~が必要である」の羅列で文章が終わるアンチパターン。
問題に対して、長々と思いついたことを書いただけ。
言いたいことが整理されていない時が多い。

このアンチパターンの原因の多くは、知識不足か、自分の言いたいことが整理されていない未熟さにある。
問題に対して、必要な項目があるのならば、知識を全面に出して、対策を主張すればいい。
対策を主張したいならば、その内容を整理すべき。

自分の論理をロジカルシンキングで鍛えるべきだろう。

【6】おいては病

「~において」「おいては~」「~に関しては」「~としては」を修飾語に多用して、そこから持論を述べるアンチパターン。
そもそも「おいては」は話し言葉であり、論文のような文体では話し言葉は多用してはいけない。

おいては病では必要性の羅列文アンチパターンとくっついて、「~においては~が必要である」という文体になりがち。
つまり、自分の言いたいことが整理されていないのだ。
ロジカルシンキングで主張を整理すべき。

【7】またまた病

文章をつなげる時に「また」を2回以上使ってしまうアンチパターン。
例えば「~である。また~である。また~である。」のような文体。
小学生がよく使っている。

原因は、接続詞を使うという習慣がないから。
「また」以外に「さらに」「その上」などの接続詞を使えば、単調な文章ではなくなる。

複文よりも短文にすべき、という論文スタイルでは、接続詞の使い方が重要になってくる。
英語ならば接続詞を使った主張パターンが結構あるが、日本語ではその辺りが明確で無い。

下記の記事でも、外国人留学生の方が日本語の接続詞について敏感になっているという話がある。

国際交流基金 > 日本語教育 > 調査研究・情報提供 > 日本語教育通信

「超」文章法」でも、短文を多用するなら接続詞を意識すべき、と主張している。

良良の良良聊吧:日本語の接続詞一覧 - livedoor Blog(ブログ)

文章は接続詞で決まる→(保存版)接続詞の常識チートシートにまとめてみた 読書猿Classic: between / beyond readers

僕が日本語の文章を書いていてよく感じるのは、「つまり」「すなわち」のような言い換える接続詞をよく使う時が多いこと。
英語ならば、概念の説明が長くなる時に、thatを多用して修飾詞を分離して、言い換えるパターンに相当するだろうと思う。
でも、多用しすぎると、何となく変な感じになる。

文章は接続詞で決まる」でも、学者が素人向けに解説文を書く時に頻出しやすく、読みにくくなると書かれている。

英語なら、thatやコロンを使うことで解決できるのに、日本語では、そのような使い分けが難しいのだ。
でも、論文のような文章では、日本語でも多用すべきだと思う。

【8】「こと」「もの」多用

硬い日本語の文章を書く場合、「こと」「もの」のような代名詞を多用する時が多い。
例えば、「~ということを意味していて」「~ということになる」「~することにした」「~ということができる」「~のことであった」。

「こと」「もの」のような代名詞が何を示しているか、あいまいになってしまうために、説明した内容が分かりにくくなる。
一般に「こと」の意味は、~の事実、~の場合、~の結果、~の内容、などに相当するので、できるだけ言い換えた方がいい。

【9】日記論文・したした論文

事象を時系列に記述する時に多い。
小学生が日記で、「今日は~した。ぼくは~した。そして~した」のように書くパターンと同じ。

経験論文を書く時に、日記論文・したした論文のアンチパターンにはまりやすい。
なぜなら、こんな状況でこんな問題が出たので、このように自分は解決したのだ、と主張するために、自分の成果をアピールしてしまいがちだから。

解決方法としては、状況や問題を提示した後で、「その問題に対し、私は~と考えた。なぜなら~だからだ」のように、自分の意見と根拠を書くようにすれば良い。
そうすれば、論者がより深く問題を考えているとアピールすることもできる。

論文では、自分の意見を主張するだけでなく、その意見には確かな根拠がある、という組み立てが必要。
そうでなければ、反論にびくともしない、正当性のある意見とはいえない。

似たようなアンチパターンとして、自分の意見だけを主張して、その根拠に触れられていない「独り善がり文」アンチパターンもある。
司法論文ではこのアンチパターンに対しては「私は~と考えた。なぜならば~であるからだ。そこで私は~の対策を採用した」という流れで書くと良い、という王道パターンがあるらしい。

【10】自慢論文・お山の大将論文・お涙ちょうだい論文

自慢論文は、自分が担当した作業が有名な施設や有名な事件を対象にしている点だけを説明しているアンチパターン。
お山の大将論文は、自分の社会的地位や職位、学会での地位を自慢するだけで、自分の技術や知識の能力が感じられないアンチパターン。
お涙ちょうだい論文は、自分が担当した作業が、不幸にも数々の問題にさらされて、苦労してやっと解決した、という物語風のアンチパターン。

いずれのアンチパターンも、どんな問題に対して、どんな着眼点を持って、どんな対策を立てて、どんな成果をあげたのか、というストーリーが欠けている。
そのストーリーがなければ、論文として、論者に専門の能力があるとは思えない。

【まとめ・感想】
このようにあげてみると、日本語は難しい。
おそらく意識して矯正する必要があるだろう。

・主語と述語が離れがちなので、論理関係を明示しにくい。
・句読点の種類が少ないので、文章のバリエーションが少ない。
・接続詞を頻繁に使う癖が少ないので、複文や長文になりやすい。

また、僕も含めた日本人が、自分の意見を人前で主張するという訓練を学校時代に教育されていないこともあるだろう。
そもそも、普通の日本人は、人前でプレゼンしたり、発表する経験がない。
(そう言い切ってもおかしくないと思う)

僕自身、IT勉強会で発表し始めてから、プレゼンや論文をすごく意識するようになり、自分の意見を主張することの重要性を経験した。
そして、自分の意見を世の中に流布してもらうには、その根拠を明確に提示する必要があると、発表した後に初めて分かった。

今後も注意していく。

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2013/11/25

仮説から理論を構築する過程で大切なこと

最近、地球の歴史や恐竜に興味を持っているのだが、『決着! 恐竜絶滅論争』を読んで、自然科学における仮説から理論を構築する手法について、気づいた点があったのでメモ。

【参考】
【読了本】『決着! 恐竜絶滅論争>』 定説はなぜ「定説」たり得たのか - 読んで、観て、呑む。 ~押川閑古堂日乗~

書評 「決着! 恐竜絶滅論争」 - shorebird 進化心理学中心の書評など

後藤和久『決着! 恐竜絶滅論争』 - logical cypher scape

【1】恐竜の絶滅の原因は、隕石による衝突だ、という仮説が1980年代に提唱された。
その仮説の斬新さに異論反論も多かったが、隕石特有の物質であるイリジウムが恐竜絶滅のタイミングに大量に発生している地質的証拠が大きな証拠としてあがった。
さらに、1991年に、メキシコのユカタン半島でチチュルブ・クレーターが見つかったことで、隕石衝突説が決定的となった。

しかし、その後、デカントラップと呼ばれる火山噴火説が恐竜絶滅の原因として根強く世間に流布されており、隕石衝突説ではない、という反論があたかも広がっているように思われた。

そこで、『決着! 恐竜絶滅論争』の著者は、改めて、恐竜絶滅の原因は隕石衝突説であると主張するために、定量的な証拠を元に論理的に説明する試みをおこなった。
下記が、2010年にサイエンスに掲載されたその旨の総説論文であり、『決着! 恐竜絶滅論争』はその論文の解説である。

The Chicxulub Asteroid Impact and Mass Extinction at the Cretaceous-Paleogene Boundary

【2】『決着! 恐竜絶滅論争』を呼んで面白かった点は、科学者の間で、火山噴火説と隕石衝突説を討論している過程で、仮説がどのように理論として構築され、決定されていくのかが分かりやすかったことだ。

火山噴火説を唱える科学者は、隕石衝突説に反論するだけで、次から次へと判明してくる地質学的証拠に対し、年代推定があいまいだ、とか、別の解釈もできる、などと反論していた。
しかし、火山噴火説では、イリジウムの異常濃集がどうしても説明できず、チチュルブ・クレーターが恐竜絶滅のタイミングで作られて、その衝突の余波による大津波や大地震や大火事の証拠に対して、自説を補強できるだけの説明ができなかった。
単純に反論するだけでは、自説の正当性にはつながらないのだ。

ある仮説が提唱され、それに反論するグループが出ることで、最初に仮説を提示したグループはもっと多くの証拠や定量データを示さなくてはならない。
もしそれができなければ、その仮説は正当性がなく、支持を失う。
多くの証拠や定量データを背景に、論理的に説明できる仮説だけが、その後の歴史に残る。

自然科学の理論を読んだり勉強する時に面白いのが、仮説をめぐる奥深い議論だ。
数多くの証拠や定量データをどのように解釈し、どのように仮説を補強するのか。
そして、自説に対する反論に対し、証拠や定量データを使って、どのように反撃するのか。

仮説が理論へ変化する過程は、そのようなたくさんの反論で鍛えられて、歴史に残るようになる。
反論に言い返せないような仮説は、理論にはならない。
だから、仮説を理論へ格上げするために、補強するための資料をもっと集めるために、証拠を探しに出かけたり、定量データを集めようとする。
そのために、たくさんの論文を書く必要があるわけだ。

【3】そのやり方は、ソフトウェア工学でも同じ。
ある時代のあるチームのあるプロジェクトでの経験則が、他の場所でも通用するように、再現可能になるようにするには、経験則を補強するような定量データを集めて、論理的に説明できるようにすることだ。

ソフトウェア工学は、自然科学というよりも社会科学の一部として捉えた方が良いと思えるフシがある。
だから、ソフトウェア工学はとてもあいまいな基盤の上の理論にすぎないように思える。
でも、経験則を一つの実践知として、形式知として、まとめ上げるのは有意義な活動であると思う。

チケット駆動開発も、当初は現場から生まれた経験則に過ぎなかったけれども、実践知として再現可能な理論体系へまとめ上げることは可能だと思っている。
今はまだあいまいな知識や経験談で散在しているけれど、それらを体系的にまとめることは可能だろうと思っている。

【追記】
最近の地球科学の本は、高校時代に習った内容と比べると、最近10年間で内容が大きく変わっている。
新しい証拠や斬新な仮説がどんどん出て、従来の静的な地球ではなく、スノーボールアース仮説のように地球が完全に凍結してしまったとか、スーパープルームで火山の大噴火が古生代末期に起きて地球上の生物の95%以上が死滅してしまったとか、色んな仮説が出てきている。
読んでいて、ハラハラドキドキするくらい面白い。

個人的には「凍った地球―スノーボールアースと生命進化の物語 (新潮選書)」や「地球環境46億年の大変動史(DOJIN選書 24)」が、初心者にも読みやすくてお勧めだと思う。


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2013/07/21

社会人の勉強方法にもWF型開発や適応型開発のアナロジーを活かせるか

社会人の勉強について、考えたことをメモ書き。

【1】社会人になると仕事中心の生活になるが、勉強が必要になる場合もある。
よくある例は、資格を取らないと管理職になれない、とか、資格を取得しないと担当した業務(例:証券などの金融)で仕事できない、とか、担当された業務で専門知識が必要なために自主的に勉強せざるを得ない、など。
社会人の勉強方法は学生の勉強方法とは全く違うと最近分かってきた。

【2】仕事はチームプレー、勉強は個人プレー

普通の社会人は、営業マンであれ事務員であれプログラマであれ、チームで仕事する。
チームで仕事するからには、不得意な分野は他の専門家に任せる。
得意な分野で自分の能力を活かして、チームのアウトプットに役立てる。

だから、顔の広い人が仕事が出来る人になる。
顔の広い人は、仕事を得意な人に任せるのが上手いから。
仕事が進まない人には、ヘルプできる人をつけるように依頼して、チームでカバーする。

でも勉強は個人プレー。
勉強のアウトプットが大学受験だったり、資格試験だったりするので、試験会場では自分一人だけで勝負しなければならない。
苦手分野でも自分一人でやらなければならない。
勉強の出来る人は、苦手分野があまりないか、あったとしても致命的でないように、広い知識を持っている。
不得意分野を他人に振ることができにないのだ。

でも、勉強だけに向いている人は、チームプレーが苦手な人もいるように思える。
だから、勉強だけできる個人プレーだけの人はビジネスには向かないかもしれない。
実際、学校の成績が良くなくても、チームで仕事すると生き生きする人は世の中にとても多い。

自分の専門能力をアピールして働くのか、ファシリテーションやマネジメントの能力をアピールして働くのか。

【3】竹中さんによる「竹中式マトリクス勉強法」における勉強マトリクスの4象限

竹中平蔵さんによる「竹中式マトリクス勉強法」には、勉強マトリクスの4象限の解説がある。
1つの軸は、天井のある勉強と、天井のない勉強。
天井のある勉強は、大学受験や資格試験など、合格すればそれで終わり。
天井のない勉強は、経営能力を身につける、とか、新しいプログラミング言語を毎年勉強する、とか、際限のない勉強。

もう一つの軸は、人生を戦うための武器としての勉強、とか、人間力を鍛えるための勉強。
ITや金融知識などの専門知識を身に付けて、世界やライバルに打ち勝つための勉強。
あるいは、古典や音楽、芸術などの教養を身につける勉強。

すると、縦:武器としての勉強+人間力を鍛える勉強、横:天井がある勉強+天井がない勉強でマトリクス形式にすると、

A:記憶勉強、
B:仕事勉強、
C:趣味勉強、
D:人生勉強
の4象限になる。

学生の勉強は、A:記憶勉強が全て。
でも、社会人の勉強は、Aだけではない。
働きながら、大学院に入り直してMBAを取得したり、資格勉強にチャレンジする社会人は、B:仕事勉強が多い。
つまり、ある程度ビジネス経験を積んだ後に、もう一度知識を身に付けるべく勉強し始める。
例えば、MBAで勉強することで、再現性や恒常性の高い成果を出すために過去の経営メソッドを身に付けることもできる。
各種の資格を取得することで、経験で得られた内容に、専門知識を追加して幅広く理解することもできる。

特に、社会人の勉強は、業務経験がなければ取得できない資格も多い。
PMPや技術士は経験年数を必要とするし、高度情報処理技術者試験(SA・PM・ST・AU)はだれでも受験できるがそれなりのITシステムの設計や提案の経験がなければ、そう簡単に取得できないだろう。

だが、業界で10年以上の経験があるからと言って、例えば資格に簡単に受かるわけではない。
仕事の経験知は特有の業務に特化しているために、得られた知識はとても狭い。
むしろ、資格勉強によって、周辺の専門知識をかなり暗記しなければ身につかない。

【4】学生と社会人の勉強方法で違うのは、勉強に費やせる工数が大きく違うこと。
学生ならば、1週間のうち5日、先生から指導を受けて、言われた通り勉強するのが普通。
勉強方法は、予習→講義→復習という受け身の勉強スタイル。
1ヶ月のうち20人日は勉強に費やせるから、1ヶ月のうち約70%の工数を勉強にアサインできる。

しかし、社会人になれば、平日は仕事があり、休日は疲れているだろうから、1ヶ月のうち1日分、専門講師による講義を直接受けれるぐらいがせいぜいだろう。
独学でも、1ヶ月で勉強できる工数はおそらく50時間も満たないだろう。
つまり、1ヶ月に1日~1週間ぐらいの工数しか勉強に費やせない。
しかも、ほとんどの勉強時間が独学になるので、自力で勉強していく能力も必要になる。

逆に言えば、社会人になると、専門講師による指導回数を増やしても、さほど身につかない。
独学で勉強する工数の方が多いから、自力で勉強するメソッドを自分なりに開発しなければならない。

だから、社会人の勉強スタイルは、ソフトウェア開発における適応型開発に近くなる。
自分に合った勉強方法を身につけるために、1週間または1ヶ月のスプリント単位に試して、その結果を評価して、そのノウハウを身に付けて(適応して)、次のスプリントに生かしていく。

【5】現在の日本における資格勉強はWF型開発っぽい手法が有効な場面が多い

自分で体験してみて、現在の日本における資格勉強はWF型開発っぽい手法が有効な場面が多いのかな、と思う。
と言うのも、ほとんどの試験は、紙と鉛筆による筆記試験が多い。
つまり、アナログの勉強スタイルのため、一度書いた答案を書き直すのは時間が掛かるし、面倒だ。
特に、記述試験や論文試験では、100~3000文字も記述しなければならないので、一度書き始めたら、途中で書き直すのは非常に困難だ。

だから、例えば、論文試験では、事前に目次を作るだけでなく、ストーリー展開やレイアウト設定まで事前に決めた後に、書き始めるのが普通。
途中で目次を入れ替えるには、一度書いた文章を全部消してしまう必要があり、工数がかかりすぎるからだ。

もし、エディタやWordが使えるならば、とりあえず書き始めなら、途中で目次を入れ替えたりして、いくらでも書き直しができる。
IT技術を使えるならば、試行錯誤しながら記述できるのに、ほとんどの資格試験がアナログ形式のために、WF型開発のように事前の計画作りを必要以上に重視せざるを得ない。

しかも、今の社会人は業務がほとんどIT化されてしまっているので、シャーペンやボールペンを使った仕事は殆ど無いはず。
だから、意識的に、シャーペンで大量に書く練習や、電卓を叩く練習など、アナログ形式の勉強に慣れる必要がある。

教育の現場がいまだにチョークと黒板によるアナログの講義形式が主流である理由の一つは、大学受験などの試験がアナログ形式のために、事前の準備を重視せざるを得ないからではないか。
IT技術がもっと教育現場に普及すれば、何度でもやり直しが効く勉強方法も生まれるだろうから、アジャイル開発のような勉強方法も生まれるのではないか。

とは言え、ITツールが効果的に使える場面もある。
例えば、英語の勉強はウォーターフォール型開発よりも適応型開発が向いている: プログラマの思索に書いたように、英語学習はもっと経験重視の適応型開発っぽい勉強方法が向いている。
英語学習では、iPodやiPhoneからヒヤリングで聞いたり、ボイスメモで音読した内容を録音して再度ヒヤリングするなどのやり方がとても有効だ。

牛尾さんが提唱される「サウンドファーストの原則」「ダイレクト理解の原則」「コンテキスト理解の原則」などを実践してみると、経験重視の典型的な適応型開発に思える。

論文試験でも、3000文字超の文章を音読してボイスメモで録音して、いつでもヒアリングできるようにしておくと効果があるらしい。
目による脳へのインプットと、耳からの脳へのインプットは違うので有効みたい。

【6】とは言え、単純に暗記だけすれば勉強は終わりではない。
社交場で教養が必要になるとか、色んな理由で、C:趣味勉強やD:人生勉強も必要になってくる。

コミュニティ活動してきて勉強になったことは、プレゼンの技術だ。
日本の学校では、プレゼンの場がほとんどないので、人前で自分の考えや意見を話す練習をしたことがない。
パワポを作って話す練習は、社会人と言えども、顧客相手に話す場合くらいしか使わないのではないか?

でも、コミュニティでは、自分から率先して講演することができる。
たとえ失敗しても、有志が集まるコミュニティでは、色んな人からフィードバックがもらえる。

PowerPointを使った古い人の講演よりも、KeyNoteを使ってジョブズのプレゼンのように話すタイプも多くなってきた。
プレゼンテーションZen」のような優れた本もあるし、周囲の発表を見れば、自然にプレゼンの技術も参考になる。
プレゼンは場数が必要かなあと思ったりする。

自分の知的好奇心を冷まさずに、色々勉強していくために、勉強方法を今後もまとめてみる。

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