2026/09/06

第23回Redmine大阪の感想~AIの暴走はチケット駆動で制御する!AI時代に人間が担うべき真の役割は何なのか? #redmineosaka

AIが開発を自動化する現代、プロジェクトの文脈を知らないAIの暴走をどう防ぐか?
第23回Redmine大阪で語られたRedmineのMCPサーバー化や、制御工学に基づく『チケット駆動によるAI制御』を通じ、AI時代における人間の役割とプロセスのあり方を考えてみた。

【参考】
第23回Redmine大阪 - connpass

Redmine-osaka-023 - Redmine.Osaka

【1】1年ぶりのRedmine大阪のテーマは、やはり「AIxRedmine」だった。
AIがソフトウェア開発を飲み込んでしまって、AI無しのソフトウェア開発はもうありえない。
プログラミングはもちろん、テスト駆動開発・CI・CD・スペック駆動開発・コンテナ作成・インフラ基盤作成まで全てAIエージェントで自動化できてしまう。

おそらく、タスク管理のような単純なマネジメント作業そのものもAIで自動化されるだろう。
では、現代のAI時代では、何が問題になるのか?
現代のAI時代では、ソフトウェア開発のあるべき姿は何なのか?

【2】@haru_iidaさんの講演で興味を持ったことは、RedmineAIヘルパープラグインにより、RemdineそのものがMCPサーバの機能を持つことだ。
僕はこの意味が即理解できなかったが、 レイリーさん、@akahane92さんの説明により理解した。

RedmineサーバーにMCPサーバー機能をもたせることには2つの意味がある。
1つ目は、RedmineのI/Fがプロンプトを認識できることにより、ユーザはRedmineに自然言語で直接アクセス制御できることだ。
以前なら、REST APIでデータ取得更新するしかなかった。
つまり、REST APIの仕様に従って逐一PythonやRubyのプログラムを書くしかなかった。
しかし、RedmineがMCPサーバー機能を持つことにより、RedmineにあるチケットやWikiなどのPJ情報は、「期日間近のチケットを教えて」とプロンプトを投げればいつでも簡単に取り出せる。
よって、プログラミングを知らない初心者でも、Redmineのチケット情報、ナレッジを有効活用できる。
これはすごいことだ。

2つ目は、MCPサーバをローカルPC上に作成する必要がないこと。
以前なら、ClaudeCodeでRedmineにアクセスしたいならば、自分のPC上にMCPサーバを構築してそれを経由してRedmineやGitHub、Slackなどにアクセスするしかなかった。
逐一、MCPサーバをコンテナ作成するなど手間がかかった。
しかし、RedmineにMCPサーバー機能を持たせることで、ユーザは面倒な作業を除去できる。
この考え方は、一昔前のクライアント・サーバーモデルと同じだ。
クライアント側にビジネスロジックを持たせてサーバーと同期させたり、データの取得更新処理を実行するのではなく、サーバー側にすべての処理を集約させる考え方と同じだ。

一つ疑問点が浮かぶことは、レイリーさんの質問の通り、RedmineにMCPサーバを持たせることにより、セキュリティやアクセス権限制御は大丈夫なのか?という点だ。
どんなPCからも自由にRedmineを簡単に制御させられるのは危険だ。
@haru_iidaさんの回答では、Redmine側のログイン機能やアクセス権限弦制御に従うこと、最新バージョンならOAuth機能も付いているから大丈夫、とのことだった。

【3】@tokudiroさんの講演「AIxチケット駆動」は、僕が参加者と深く議論したかったテーマ「AIの暴走をチケット駆動で制御する」になる。
アイデアは既に書いた。

チケット駆動でAIを制御する仕組みのアイデア: プログラマの思索

@tokudiroさんの講演を改めて聞いて、ポイントは3つある。

1つ目は、AIは案件のコンテキスト、チームのコンテキスト、ローカルなコンテキストを知らないから暴走しやすいという根本問題だ。
AIはいくら優秀だとしても、彼らは、僕らの案件の詳細を知らないし、僕らの組織にある暗黙知を知らないし、僕らのチームメンバーの癖や暗黙知を知らない。
だから、AIは一般論で突っ走って、僕らが想定しない成果物を出してくる。
そこで、チケットを作業指示書とみなして、作業指示書にプロンプトや前提条件、制約条件を集約して、AIに実行させることでAIを制御する。
プロンプト実行後にAIが出してきた成果物、設計構想、検討結果に対し、人が取捨選択して意思決定し、その履歴はIssueログに残す。
Issueログには、意思決定の履歴が残る。
つまり、意思決定した時にどれを選択したのか、選択した基準は何か、却下した理由は何か、それらのログは全て残る。
それら暗黙知は、プロジェクトのコンテキストそのものだ。
AIはそれらを学習することにより、僕らの癖、価値観をAIは理解して、AIが出す成果物の品質基準を僕らの価値観にできるだけ合わせるように制御できるはずだ。

2つ目は、AIによる処理をチケット駆動で制御する発想は、制御工学の考え方や仕組みにとても似ていることだ。

チケットを作業指示書とみなして、AIの処理を実行させる。
AIの処理結果を人間がレビューして、誤差を検出しAIにフィードバックさせてAIにココが間違えているから直せと再実行させる。
そういうループ処理を回しながら、チケットに本来書き残した目標に近づけていく。
これは、制御工学そのものだ。
講演資料では「AIのプロセスを制御工学に見立てて、AIの思考に物理的なガードレールを設ける」とある。
つまり、AIは暴走しやすいので、チケットとGitHubリポジトリという物理的なガードレールを設けて、意識的にフィードバックループの制約をかけるわけだ。

一方、@hiranabeさんによれば、制御工学は、いわゆる工業製品では当たり前の考え方だ。
たとえば、お風呂の自動湯沸かし器。
お湯が指定した温度で一定量までお湯を張るようにフィードバックさせるが、一定量になれば止める。
お湯を止める制御がなければ、お風呂はお湯で溢れてしまって、水道代が無駄になるだろう。

@hiranabeさんによれば、モノの制御工学では、センサーにより定量的な数値をフィードバックさせて、アクチュエータが力に変えて水量を制御する。
一方、AIによる処理、あるいはScrumでは、ゴールは曖昧で揺れ動くものであるので、定性的なデータをフィードバックして制御するしか無い。
Scrumなら、フィードバックさせるものは人の経験であり、経験を深めることで、特定のコンテキストに対するナレッジを獲得して目標達成に近づける。

【4】懇親会で色々話して理解したことは、チケット駆動でAIを制御する仕組みは、LoopEngineeringとVibeCodingの間に位置し、AIにすべてを委ねず人間が関与すべきプロセスを明示した点だ。

いわゆるルーチンワークのような業務的意思決定は、もはやAIで全て自動化できるだろう。
しかし、事業戦略の判断、アーキテクチャの判断、我々が本来作りたいシステムのあるべき姿に対する戦略的意思決定は、AIは支援できてもAIに全てを委ねて、AIが自動化できることにはならないだろう。
すると、戦略的意思決定のプロセスでは、細かい作業や処理はAIで自動化したとしても、途中でポーズさせて、チェックポイント地点でゲートレビューを設けて、AIの成果物を人間がチェックして、判断するチェックポイントを入れる必要がある。
これこそがAI時代の本来のプロセス設計だろう。

LoopEngineeringでは、このプロセスが全てAIで自動化されるがやはり怖い。
そこで、人間がゲートレビューする出番をわざと作る。
実際、GitHubにおけるプルリクに対するコードレビューが相当するだろう。

この発想は、監査プロセスに対しAIによってどこまでAI自動化できるのか、という問題に発展するだろう。
製造業では、人命・品質に関する規格により、製品も製造プロセスも制御されている。
一定の品質の製品でなければ、人が怪我をしたり命に関わる事象に陥る。

製造プロセスをできるだけAIで自動化したとしても、AIが作り出した製品の機能が本当に品質担保できているのか?を人間が監査して承認を取る必要がある。
つまり、ゲートレビューは監査プロセスで必要だ。
しかし、監査でAIが作り出した成果物の中身を人間が全て理解してチェックできるのか?

@sakaba37さんや@hiranabeさんの意見を聞く限り、AIが出す成果物は膨大なので人間は全てをレビューできない。
しかし、監査プロセスという手続きが妥当であること、サンプルとして取り出したエビデンスが妥当であることが分かれば、AIの成果物の品質も妥当だと判断できるだろう、とのことだった。
つまり、監査とは結局、プロセス監査に過ぎないので、標準プロセスとして定めた監査プロセスが妥当であるならば、その手順に沿ってAIが実行されたことをチェックするだけに過ぎないわけだ。

すなわち、AI時代の監査プロセスは、従来通りのやり方で基本は残るだろうと考える。

【5】@kazuhitoさんの議論で面白かった点は、人がコードレビューしなくなる時代はもう近づいているだろうが、人がコードレビューしなくなる基準は何なのか?という点だ。

今まさに、AIがソフトウェア開発を完全に飲み込んでしまっている。
AIのソースコードは膨大なので、人はすべてを読めないし理解できない。
また、AIが出すソースコードの方が、自分が書いたソースコードよりも凄いぞ、と認識を改める場面も多くなっているだろう。
つまり、AIの成果物の方が品質が良いのだ。
すると、人はコードレビューする能力をそもそも持っているのだろうか?
コードレビューはもはや単なる承認する儀式に過ぎないのか?

@sakaba37さんの意見によれば、アセンブラの頃のプログラミングやテストに似ていると言う。
アセンブラは機械語なので人間には読みにくい。
しかし、デバッグが必要な場面もある。
すると、人は、あるチェックポイントでゲートレビューしてレポートを出させて、成果物そのもののアセンブラは見なくて、レポートだけで判断する。
そのレポートを見ながら、デバッグの指示を出しデバッグのフィードバックを繰り返して、期待する処理に近づける。

その話を聞いて、僕は、結局、AI時代の監査プロセスと同じだな、と思った。
結局、AIの成果物の中身まで人間は全てを把握することは諦めるしか無い。
人間は、手続きというプロセスが正しいことを信じて、承認という判子を押すだけの存在になるしか無い。
AI時代のプロセスは、プロセスの中で実行される処理を見るのではなく、処理を実行させる元のプロンプトに妥当性があることしか、人間はチェックできないだろう。

すると、コードレビューしなくなる基準は、AIによるコード生成のプロンプトによって実行されるプロセスそのものの妥当性が保証される状態を指すだろう。
つまり、プロンプト群から生成されるAIの処理に再現性があり、一定品質をクリアできるならば、もはや人間が関与する必要はない。

たとえば、自動運転技術が最たる例になるだろう。
人間が運転するよりも、AIで自動運転するほうが交通事故が少ないならば、その方が人命は安全だからだ。
つまり、人間が変にこだわって意思決定する行為は、もう無くなる可能性もある。

【6】@kazuhitoさんの話でもう一つ面白かった点は、AIとの付き合い方は、オフショア委託や下請け委託と同じように考えたほうがいいですよ、という主張だ。
たしかにそうだ。

今、ソフトウェア開発をAIで全振りした場合、発注者である自分は、AIに、これこれの機能を実装せよ、こういう品質をクリアせよ、とたくさんの制約条件や前提条件を書いて、指示を出す。
AIは、プロンプトという契約に沿って、成果物を作り出す。
AIが出して来た成果物を人間はレビューして、気に食わなければ、AIに突き返す。
AIはまた修正して、人間にレビューを依頼する。
AIと人間のループ作業によって、最終的に欲しい成果物が得られる。

この関係は、請負契約や業務委託契約に似ている。
AIが作り出す成果物が品質基準をクリアしなければ突き返すならば、請負契約と同じだ。
AIに壁打ちして、企画構想やアイデアを具体化していく作業を行うなら、AIに一定期間のコンサル業務を業務委託契約している感覚だ。

一方、AIは人間と違って、24時間365日フル稼働できるし、こちらの要望に沿ってすり合わせしてくれるので、優秀なオフショア委託ベンダーみたいなものだ。
他方、AIは責任を負わない。
たとえば、インドや海外のオフショア委託ベンダーが期限までに間に合わければ、発注者はペナルティを課し、損害賠償させる契約を結んでリスク回避させることもできるが、AIにペナルティを課して損害賠償させることは出来ない。
AIは、こちらが頼んだ成果物と違うといくら言っても、プロンプトを投げれば即座に成果物を作って送り返してくるので、納期までに間に合わないリスクは、結局、発注者である自分に戻ってくる。

そんなことを考えると、AIを上手く使いこなせる人は、発注者として下請けを上手く操れる手配師みたいな人の方が向いているのかもしれない。
でも、その考え方は何故かしっくり来ないけどね。

【7】AI時代のRedmineの課題は、今までの常識では通用せず、AIの処理の速さによりボトルネックが自分自身に跳ね返ってくる点にあるのだろうと思う。
問題となるボトルネックは、システムではなく、人間の思考や行為そのものに存在する。
たとえば、Redmineがいくらナレッジ基盤として優秀であっても、人間がチケット入力しないと意味がないし、チケット運用する必要もある。
本来はRedmineチケット管理でもっと管理作業を効率化したいのに、AIやRedmineがすごく優秀になりすぎると、人間自体がボトルネックになってしまうわけだ。

僕が考えているテーマは結局下記の2つだ。
現代のAI時代では、ソフトウェア開発のあるべき姿は何なのか?
監査プロセスに対しAIによってどこまでAI自動化できるのか?

この辺りの問題解決のアイデアは色々考えてみる。

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2026/08/30

AI時代のソフトウェア開発者とはアーキテクトの役割として再定義される

デブサミ関西2026に行ってきた。
AI全振りの開発現場では「コードを手書かない時代」のエンジニアの真価が問われている。
実装コストがゼロとなった今、求められるのは単なる作業者ではなく、システム全体の説明責任を負うアーキテクトの思考だ。
全レイヤーを統括し、AIを使いこなすITエンジニアは皆、アーキテクトであるべきだ。

【参考】
Developers Summit 2026 KANSAI(2026.08.21)

AI時代の「コードと人間の関係」を問い直す—デブサミ関西2026で考えた、アーキテクチャの未来とコミュニティの価値 #devsumi: プログラマの思索

【1】デブサミ関西2026に行ってきて、SIerの人は皆AIに全振りだなあと思った。
もはや、プログラムを手書きで書く人はいない。
ジュニアもシニアも皆、AIにプログラムを書かせる。
AIの方がプログラミングが楽だからだ。

すると、AI時代のソフトウェア開発者は、プログラマではない。
では、プログラマはAIに指示するだけのオペレータに過ぎないのか?
プログラマは、AIが作ったソースコードを読む必要はないのか?

【2】僕の考えでは、AI時代のソフトウェア開発では、エンジニアは皆アーキテクトを求められることだ。

つまり、AIでプログラミングのコストがゼロになったら、ITエンジニアは皆アーキテクトの 技術レベルを求められる。

なぜならば、WebサーバーもネットワークもRDBも開発フレームワークもアーキテクチャ設計もフロントエンドもコンテナも業務ドメインも全てAIで即座に実装して動作できるからだ。
中身はブラックボックスでもいい。

【2-1】つまり、ITエンジニアは、インフラ設計・DB設計・アーキテクチャ設計・詳細設計・業務設計・要件定義も全て自力で設計して、全てのコンポーネントや技術を組み合わせて一つのシステムを作らざるを得なくなるからだ。
全ての設計要素の整合性、品質担保は、ITエンジニアしかできない。
すべての技術を理解して、部品のように組み立てて、きちんと動かす能力が求められる。
そのような役割こそがアーキテクトだ。
低レイヤーからフロントエンドまでのIT技術を全て知り尽くして、顧客の要望に対して、最適なアーキテクチャ、すなわち、最適な設計コンポーネントを選択して実装して運用できる人は、アーキテクトしかいない。

たとえ、ジュニアのプログラマが大規模かつ複雑なシステムを開発できたとしても、顧客から、なぜこんな仕組みのシステムを作ったのか?と問われた時に、システムの中身に対する説明責任は必ず要求される。
システムそのもの説明責任の主体は、AIではなく、AIを実装したプログラマであるべきだ。

【2-2】アーキテクトとは、単にシステム構成に関するアーキテクチャを意思決定するだけでなく、意思決定した説明責任も負うからだ。
AIが作ったシステムの中身は分かりません、と顧客に言ってしまうプログラマは、正直最低だ。
自分は責任が持てません、自分は何も知らないから、と、自分の能力が無い事実をさらけ出しているだけだ。
自分の無能さを顧客の前にさらけ出して、恥ずかしくないのだろうか?

よって、ジュニアのエンジニアも、顧客の前ではアーキテクトとして振る舞うべきだ。
それができないならば、彼は顧客の前に立たない方が良い。

【3】デブサミ関西に行ってきて感じたことは、インターネット老人会のようなおじさん達がすごく生き生きとしていたことだ。
AIによりプログラミングの実装コストがゼロになったことで、リファクタリングやバックポートなどのような地道な作業から解放されて、本来のやりたいことを実現しやすくなったように思える。

サーバーやネットワーク、CPUアーキテクチャやC言語のポインタ、Linuxカーネル等のレベルの知識があるからこそ、彼らは最適なアーキテクチャ構成を考えることが出来る。
その後の開発作業、具体的には、多数の部品やインフラ基盤、開発基盤を組み合わせて協調動作させる開発作業は全てAIに任せれば、即座に実装できる。
インターネット老人会のような経験者にとっては、すごく楽しい時代になったんだろうな、と思う。


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2026/08/23

「理論より実装」——機械学習の本質はサイエンスではなく工学だ

機械学習、深層学習は、コンピュータサイエンスによる研究よりも、性能チューニングとコストのトレードオフを考慮するエンジニアリング対象ではないか、という指摘にしびれた。

XユーザーのPedro Domingosさん: 「Machine learning is the study of techniques that don’t work in theory but do in practice.」 / X

英語からの翻訳:
機械学習とは、理論上は機能しないが実践上は機能する技術の研究です。

XユーザーのTJOさん: 「LLMがすっかりサイエンスではなくエンジニアリングの研究になったことを見れば良く分かる」 / X

XユーザーのFrancisco Soaresさん: 「@TJO_datasci 割と最初からそうじゃない?Transformers やDPO辺りが新しいかもしれないけど、9割くらいはDLとRLの応用とスケーラビリティ問題。だからすごくないっていうわけじゃないけど、この界隈の論文をここ数年読んでるとエンジニアとして面白さをとても感じると同時にサイエンスとしてすごく浅く感じる。」 / X

サイエンティストは、コストや納期の妥当性は考えずに、ひたすら理論上の可能性を考える。
あるべき論を突き進んで考える。
それはそれで楽しい。

一方、工学の対象は、基本はQCDのトレードオフの中で、最もバランスとの取れた実装手段を見つけることにある。
それこそが、エンジニアとしての最骨頂だ。
エンジニアとしては、工学の対象の方が面白いと思う。
エンジニアは結局、Howを考える人だ。
Howを突き詰めて考えるのが好きだ。
そして、Howこそが実際の世界を変える。
Howの試行錯誤が世界を変えるからだ。

「Why(理論)」を追うサイエンティストと、「How(実装)」で世界を変えるエンジニア。
泥臭いHowの試行錯誤こそが世界を変える。だからエンジニアリングは面白い。

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資料リンク「10周回って、エージェント開発は RAGがすべてだった。~RAGの歴史と開発現場で見えた実践知~」

「10周回って、エージェント開発は RAGがすべてだった。~RAGの歴史と開発現場で見えた実践知~」資料リンクを書いておく。
LLMとRAGの関係が分かりやすい。


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2026/08/22

AI時代の「コードと人間の関係」を問い直す—デブサミ関西2026で考えた、アーキテクチャの未来とコミュニティの価値 #devsumi

デブサミ関西2026に参加してきた。
デブサミ関西2026で踊る「AIによる自動化」や「FDE」の波。一見スマートな潮流に違和感を覚えたのはなぜか?
AI時代のプログラミングの本質、ITビジネスの構造、そして20年続くコミュニティの絆から、エンジニアが手放してはならない「思考の領域」と真の資産を考えてみた。
感想をラフなメモ書き。

Developers Summit 2026 KANSAI(2026.08.21)

【1】講演者の大半は、AIで手作業のプログラミングはなくなる、価値創造にフォーカスを当てるべきだ、エンジニアもビジネスにシフトしようと言っているが、むしろ、僕は、AIが普及しても人間によるプログラミング、アーキテクチャ設計は変わらないと思う。

確かに、AIによるプログラミングの方が人間の手作業によるプログラミングよりも高速で品質も一定だ。
人間のプログラミングは、漏れが多く、考慮する範囲やレベルも一般的に低い。
しかし、そんな状況でも、AIよりも人間のプログラミングが重要な点は2つある。

1つ目は、AIのプログラミングは、無駄にたくさんの機能を作り、無駄にたくさんの仕様を盛り込みすぎて、品質基準を超過しすぎる。
人の成果物は品質基準に不足しすぎるが、AIの成果物は品質基準を超過しすぎる: プログラマの思索
AIは高速かつ品質基準もクリアできるために、無駄に作った機能がないか、変な方向に機能作り込みしていないか、人間がコードレビューしている感じだ。
つまり、人間もAIが作ったコードを読んで理解する必要があるので、プログラミング力が不要になることはない。

2つ目は、ソフトウェのあるべき姿を考える時に、人間もプログラムという肝心の部品を理解する必要があるからだ。
AIは高速かつ品質基準もクリアできるツールなので、極端に言えば、システム中身のソフトウェアもアーキテクチャも、ブラックボックスでいい。
つまり、プログラミングやアーキテクチャも知らなくても、テスト駆動開発で仕様を満たせれば、中身のソフトウェアが汚くても無関係だ。
なぜならば、AIでいつでも作り直せるならば、いくら大規模なシステムでも、プロトタイプを作る感覚で、何度でもリプレースしてしまえばいい。
アーキテクチャもプロトタイピングの都度、極論、何度でも大幅変更しても、AIで対応できてしまうからだ。
大規模システムを今日はJavaで作った、明日はC#で作り直した、明後日はRubyで作り直した、1週間後にはRustで全部作り直した、というやり方も、AIなら問題なく可能だ。
AIなら、じきに品質保証という監査プロセスそのものもAIで自動化できるだろう。

AIによるプログラミングは、20年前に流行したモデル駆動開発やノーコード開発と同じだ。
プログラミングを知らなくても、GUIの設計だけでプログラムを自動生成すればいいという考え方だ。
今でも、SalesforceやKintoneによるローコード開発も似たような発想だ。

Xユーザーのakipiiさん: 「AIでプログラミング代替により、プログラムは使い捨てになる。あるいは昔のノーコード開発になる。本当にそれがあるべき姿なのか?僕は違うと思う。 #devsumi」 / X

モデル駆動開発、ノーコード開発、ローコード開発であれば、アーキテクチャを考える必要性はない。
すでにアーキテクチャが存在している前提で、アプリ層のビジネスロジックを実装するだけ、という発想だからだ。

しかし、それが本当のソフトウェア開発なのだろうか?
ソフトウェア開発にアーキテクチャなんて無視して、ビジネス要件さえ満たしていれば、中身はブラックボックスでよくて、QAなんか無関係で、ソフトウェア工学も品質保証も無関係でいいのだろうか?

僕は違うと思う。
AIがこれだけ高速かつ高い能力を持ったとしても、ソフトウェアのあるべき姿を思考する行為そのものは自分の範疇に納めたい。
AIが本当に良いソフトエアを作ってくれるのか、その仕組は理解したい。
AI自体の思考プロセスを理解したい。
アーキテクチャを自分が指定して、AIに指示させたい。

上記の理由は中途半端だけど、思考プロセスそのものをAIに手渡したくないのだ。

【2】FDE(Forward Deployed Engineer)はパランティアのエンジニアのモデルから生まれたらしい。
FDEは、ソフトウェア派遣委託のSESと同じだと思う。

Xユーザーのakipiiさん: 「#devsumi FDE(Forward Deployed Engineer)はパランティアテクノロジーズのビジネスモデルから生まれた、とスピーカーから聞いた。それなら理解しやすい。」 / X

FDE(Forward Deployed Engineer:前線配備エンジニア)とは、顧客企業の現場(最前線)に直接入り込み、自社プロダクトやAI技術を用いて、課題の発見からシステムの迅速な実装・運用改善までを一気通貫で担う職種だ。
確かに、従来のSEのように、顧客先に常駐して、顧客の要望に従って、WF型開発に沿って受託開発するわけではない。

しかし、外側から見れば、客先に常駐して、顧客の要望を収集したうえでプログラミングしてシステム開発スタイルは変わらない。
従来のSESであれば、顧客から指定されたアーキテクチャやWF型開発プロセスに従ってプログラミングするだろう。
一方、FDEは、自社のフレームワーク、特にパランティアのようなオントロジーのフレームワークの上でシステム開発して高速に開発サイクルを回し、顧客に確認しながらシステムを順次提供していくだけだ。
つまり、SESとFDEの違いは、ソフトウェア開発の基盤が違うだけで、ビジネスモデルは全く同じだと思う。

せいぜい、SESは準委任契約だろうが、FEDは成果連動の契約つまり請負契約に近い契約なので、その点は違うだろう。

【3】では、僕がなぜ、FDEはSESみたいだね、ビジネスモデルも契約形態もそんなに変わらないと思う理由は何なのか?
理由は、マッキンゼー、デロイト、アクセンチュアなどの大手ITコンサルタントであっても、彼らも客先常駐ないし客先と準委任契約中心の高級派遣業であって、SESの契約形態と本質的に変わらないと思うためだ。

SESはWF型開発従った受託開発のビジネスモデルだ。
いわゆる人月ビジネスであり、従来から凄く批判されている。

一方、アクセンチュアのようなITコンサルタントも、SESから高級派遣業にアップグレードしたに過ぎない。
どれだけのコンサル人数を入れて、売上を増やしていくか、というビジネスモデルだ。

FDEも客先常駐のスタイルは変わらない。
ただし、客先指定のオレオレ開発基盤の受託開発から、AIによる自社オントロジー開発基盤の受託開発に変わっただけだから。

【4】デブサミ関西に久しぶりに出たら、10年以上前に関西アジャイル開発コミュニティで一緒に活動していた仲間からたくさん声掛けしてもらって、まるでOB会みたいな感情が沸き起こった。
以前の会社の職場にいた同僚や上司も昇進していたし、その他の仲間も職場を変えても皆活発に活動されていた。

年数が経っても、昔は一緒に苦労したね、昔も楽しかったね、今も一緒にやろう、みたいに言える雰囲気があるのは楽しい。

会社に所属する期間は所詮65歳定年までであって、会社から離れると、守秘義務などもあるので基本的に関係はなくなる。
しかし、コミュニティ活動で一緒に苦労し何かを達成した仲間は、いくら転職しても、フリーランスで働いても、無職になっても、長年一緒に経験した人間関係は一生残る。

プライベートな人間関係につながるからこそ、ビジネスを超えた環境であっても、その人の人柄や能力、人格が優れていれば、自然に人は集まる。
人間関係は細く長く続けることで、その偉大さを20年後に初めて感じるわけだ。

今後も色々やっていきたいと思う。

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