アジルマニュファクチャリングからアジャイルソフトウェア開発へ
アジャイルソフトウェア開発の発端は製造業におけるアジルマニュファクチャリングにあるというつぶやきを見つけたのでメモ。
アジルマニュファクチャリング - @IT情報マネジメント用語事典
(前略)
この報告書では湾岸戦争における事例を採り上げている。1990年末、開戦必至の情勢を前に米国陸軍は砂漠戦に必要となる新たな敵味方識別装置の発注を急きょ行うことになった。しかし、仕様の決定や発注先の選定などに手間取り、実際に発注されたのは開戦の1カ月後だった(この間は空爆が主体で、陸軍部隊はまだイラク周辺で準備中だった)。装置製造企業は受注から5日後にプロトタイプを納入、その1週間後には数百台が前線に届けられた。発注から投入まで2週間のスピード生産であった。
アジルマニュファクチャリングで用いられる技法は、リーン生産やコンカレント・エンジニアリング、BPR、系列などの日本的経営に由来する経営手法の影響を受けている。ただし、日本型のフレキシブル生産は企業の立場から効率化を狙ったものだが、アジルマニュファクチャリングは顧客や消費者に価値を提供するために多品種少量生産を志向するものであって、不連続に変化する市場と対話しながらニーズを探り当て、素早く製品を納品・市場投入することを眼目とする。
“アジル(アジャイル)”は1990年代の米国産業界で一種の流行語となり、製造業以外にも波及した。(中略)1999年に提唱されたアジャイルソフトウェア開発にも影響を見ることができる。
(後略)
アジルマニュファクチャリングはマーケット重視の多品種少量生産のスタイル。
1990年代のアメリカの製造業で生まれたらしい。
その生産スタイルは、日本の製造業が編み出したリーン生産やコンカレント・エンジニアリング、BPR、系列などから生まれているらしい。
平鍋さんが最近話題にしているリーンソフトウェア開発も、トヨタ式生産スタイルに影響を受けている。
日本の製造業が編み出したフレキシブルな生産手法が何故、日本のソフトウェア産業へ影響を与えられなかったのか、不思議だ。
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