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2014/01/11

論文の文章作法の悪文パターン

「超」文章法」を読みながら、論文の文章作法の悪文パターンをまとめてみた。
ラフなメモ書き。

【参考】
こんな本を読みました。: 「超」文章法

論文作成の技法part1~論文の構造: プログラマの思索

論文作成の技法part2~論文作成の観点 : プログラマの思索

論文作成の技法part3~論文作成のIT技術: プログラマの思索

【0】日本語の文章を書くのは難しいと思う時がある。
書いた文章を後で読むと、違和感があったりする。
他人に読んでもらうと、自分の思いや意見をなかなか汲み取ってくれない。

小論文を書く場合はもっと難しい。
ストーリーラインを決めたとしても、筆が流れるまま書いてみて後で読むと、本当はこう書きたかったのに、という気持ちになる時がある。

「超」文章法」などを読んでみて、論文の文章作法の悪文パターンがあることに気づいた。
そんな悪文パターンに陥らないように、自分のために書いてみる。

【1】法律文・主語述語泣き別れシンドローム・主語述語ねじれシンドローム

アンチパターンとしては、主語述語ねじれシンドローム・主語述語泣き別れシンドロームがある。
主語述語泣き別れシンドロームとは、主語と述語が離れているために、主語がどれなのか、分かりにくいこと。
主語述語ねじれシンドロームとは、主語に対応しない述語が現れること。

いずれも、日本語では、主語と述語が離れていて、最後の述語が出てくるまで、肯定なのか否定なのか分かりにくいという特徴(弱点)から発生している。

日本語の文章は、小説なら長文でもよいみたいだが、最近の流れは、論文調ならば、複文よりも短文にしろ、という方針が多い。
短い文章の方が、論理関係が分かりやすい。

複文になったために分かりにくい文章の悪例としては、法律の文章が多い。
例えば、「「超」文章法」P190では、日本国憲法前文を複文の問題点としてあげている。

日本国憲法前文 - Wikipedia

(引用開始)
われらは、いづれの国家も,自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
(引用終了)

日本国憲法、英文付

(引用開始)
We believe that no nation is responsible to itself alone, but that laws of political morality are universal; and that obedience to such laws is incumbent upon all nations who would sustain their own sovereignty and justify their sovereign relationship with other nations.
(引用終了)

日本語の文章では、「われらは」「いづれの国家も」の2つの主語が出てきて、論理関係が分かりにくい。
「法則は」「従ふことは」も主語のように思える。
上記の文章は複文なので、論理関係を読み取りにくいのだ。
昔の日本人の政治家の演説もそうだったが、文章が長いので、何を言いたいのか、分からなくなる。

それに比べて、英文の場合、Weが主語で、believeが述語であることがすごくよく分かる。
英文の方が分かりやすい理由は、thatやwhich、;を使って、論理関係を明らかにしているから。

thatや「;」は、「すなわち」に言い換えられる。
whichのような関係代名詞は、主語にかかる長い修飾詞の代替として使われている。
だから、論理関係を読み取りやすい。

法律の文章が理解しにくい最大の理由は、上記のような複文になっているからだろうと思う。
最近なら、消費税10%の時期の解釈をどうとでも取れるようなニュースもあった。
法律や政治では、故意にあいまいで分かりにくくするのが良いのだろう。
しかし、論文のような文章を書く時は、法律文は真似ない方がいい。

【2】飾りすぎの主語

飾りすぎの主語アンチパターンとしては、「「超」文章法」には、以下の例が挙げられている。

黒い目の綺麗な女の子

この表現は、8つの異なる意味に解釈できるらしい。
つまり、修飾詞が長すぎて、論理関係が分かりにくくなっている。
一方、英文ならば、関係代名詞という手段があるので、より明確に表現できる。

また、英語は、句読点の種類が多い。
「.」>「:」>「;」>「,」の順で、文章の区切りの意味が変わる。
その分、論理関係の強弱もつけやすい。

逆に日本語の文章は、句読点の種類が少ない。
古文などを読むと、古い日本の文章はとても長く、句読点の意識が薄いように思える。

最近の日本語では、主語にかかる修飾詞が長くなる場合、補足説明として「()」を使うやり方がある。
あるいは、「:」記号を使って、「すなわち」「つまり」の意味で使うやり方もある。
句読点は単に、文章を区切るだけでなく、論理関係をつなげるために使われるべき。

【3】他人事表現・キツネ文・では文・アリバイ文・言い訳文

他人事表現とは、「~と思われる」「~と言われている」という文体が多いアンチパターン。
論文のような文章では、自分の意見を主張するのがメイン。
だから、「私は~と考える」「私は~と主張する」と書くべき。
言い切ることが基本。

似たアンチパターンとして、キツネ文・では文がある。
キツネ文は「マルクスによれば」「ケインズによれば」と他人の文章を引用する文体。
では文は「アメリカでは」「経済学では」と上から目線で書く文体。

いずれも、自分の意見を言い切る文体ではないから、書いた人はどんな考えを持っているのか、何が言いたいのか、分からない。

他のアンチパターンとして、アリバイ文・言い訳文もある。
例えば、「私はこの問題の専門家ではないのだが」のようなアリバイ文、「残念ながら紙幅も尽きた」のような言い訳文。
こんな文章はそもそも必要ない。
自信がないから、こんな文章を書くだけ。

ChikirinさんのBlogでも、日本人の上司には「AともいえるがBともいえる」と言う人が多いという指摘もある。
その事象は、単に自分の意見を主張できない弱さを表明しているだけ。

「AともいえるがBともいえる」とか言う人の役立たなさ - Chikirinの日記

日本人の謙譲の意識が強すぎると、こんな文章が増えていくのかもしれない。

【4】一般論

「~が一般的である」という文章は、さんざん考えさせたあげく、なんだ一般論なのか、と読者をがっかりさせる。
読者にとって不快感が残る。
論文の文体は明確な方がいいので、「一般に~」と冒頭に宣言するのが良い。

日本語の文章では、述語が最後に来るので、一般論のようなアンチパターンが出てくる。

【5】必要性の羅列文

「~が必要である」の羅列で文章が終わるアンチパターン。
問題に対して、長々と思いついたことを書いただけ。
言いたいことが整理されていない時が多い。

このアンチパターンの原因の多くは、知識不足か、自分の言いたいことが整理されていない未熟さにある。
問題に対して、必要な項目があるのならば、知識を全面に出して、対策を主張すればいい。
対策を主張したいならば、その内容を整理すべき。

自分の論理をロジカルシンキングで鍛えるべきだろう。

【6】おいては病

「~において」「おいては~」「~に関しては」「~としては」を修飾語に多用して、そこから持論を述べるアンチパターン。
そもそも「おいては」は話し言葉であり、論文のような文体では話し言葉は多用してはいけない。

おいては病では必要性の羅列文アンチパターンとくっついて、「~においては~が必要である」という文体になりがち。
つまり、自分の言いたいことが整理されていないのだ。
ロジカルシンキングで主張を整理すべき。

【7】またまた病

文章をつなげる時に「また」を2回以上使ってしまうアンチパターン。
例えば「~である。また~である。また~である。」のような文体。
小学生がよく使っている。

原因は、接続詞を使うという習慣がないから。
「また」以外に「さらに」「その上」などの接続詞を使えば、単調な文章ではなくなる。

複文よりも短文にすべき、という論文スタイルでは、接続詞の使い方が重要になってくる。
英語ならば接続詞を使った主張パターンが結構あるが、日本語ではその辺りが明確で無い。

下記の記事でも、外国人留学生の方が日本語の接続詞について敏感になっているという話がある。

国際交流基金 > 日本語教育 > 調査研究・情報提供 > 日本語教育通信

「超」文章法」でも、短文を多用するなら接続詞を意識すべき、と主張している。

良良の良良聊吧:日本語の接続詞一覧 - livedoor Blog(ブログ)

文章は接続詞で決まる→(保存版)接続詞の常識チートシートにまとめてみた 読書猿Classic: between / beyond readers

僕が日本語の文章を書いていてよく感じるのは、「つまり」「すなわち」のような言い換える接続詞をよく使う時が多いこと。
英語ならば、概念の説明が長くなる時に、thatを多用して修飾詞を分離して、言い換えるパターンに相当するだろうと思う。
でも、多用しすぎると、何となく変な感じになる。

文章は接続詞で決まる」でも、学者が素人向けに解説文を書く時に頻出しやすく、読みにくくなると書かれている。

英語なら、thatやコロンを使うことで解決できるのに、日本語では、そのような使い分けが難しいのだ。
でも、論文のような文章では、日本語でも多用すべきだと思う。

【8】「こと」「もの」多用

硬い日本語の文章を書く場合、「こと」「もの」のような代名詞を多用する時が多い。
例えば、「~ということを意味していて」「~ということになる」「~することにした」「~ということができる」「~のことであった」。

「こと」「もの」のような代名詞が何を示しているか、あいまいになってしまうために、説明した内容が分かりにくくなる。
一般に「こと」の意味は、~の事実、~の場合、~の結果、~の内容、などに相当するので、できるだけ言い換えた方がいい。

【9】日記論文・したした論文

事象を時系列に記述する時に多い。
小学生が日記で、「今日は~した。ぼくは~した。そして~した」のように書くパターンと同じ。

経験論文を書く時に、日記論文・したした論文のアンチパターンにはまりやすい。
なぜなら、こんな状況でこんな問題が出たので、このように自分は解決したのだ、と主張するために、自分の成果をアピールしてしまいがちだから。

解決方法としては、状況や問題を提示した後で、「その問題に対し、私は~と考えた。なぜなら~だからだ」のように、自分の意見と根拠を書くようにすれば良い。
そうすれば、論者がより深く問題を考えているとアピールすることもできる。

論文では、自分の意見を主張するだけでなく、その意見には確かな根拠がある、という組み立てが必要。
そうでなければ、反論にびくともしない、正当性のある意見とはいえない。

似たようなアンチパターンとして、自分の意見だけを主張して、その根拠に触れられていない「独り善がり文」アンチパターンもある。
司法論文ではこのアンチパターンに対しては「私は~と考えた。なぜならば~であるからだ。そこで私は~の対策を採用した」という流れで書くと良い、という王道パターンがあるらしい。

【10】自慢論文・お山の大将論文・お涙ちょうだい論文

自慢論文は、自分が担当した作業が有名な施設や有名な事件を対象にしている点だけを説明しているアンチパターン。
お山の大将論文は、自分の社会的地位や職位、学会での地位を自慢するだけで、自分の技術や知識の能力が感じられないアンチパターン。
お涙ちょうだい論文は、自分が担当した作業が、不幸にも数々の問題にさらされて、苦労してやっと解決した、という物語風のアンチパターン。

いずれのアンチパターンも、どんな問題に対して、どんな着眼点を持って、どんな対策を立てて、どんな成果をあげたのか、というストーリーが欠けている。
そのストーリーがなければ、論文として、論者に専門の能力があるとは思えない。

【まとめ・感想】
このようにあげてみると、日本語は難しい。
おそらく意識して矯正する必要があるだろう。

・主語と述語が離れがちなので、論理関係を明示しにくい。
・句読点の種類が少ないので、文章のバリエーションが少ない。
・接続詞を頻繁に使う癖が少ないので、複文や長文になりやすい。

また、僕も含めた日本人が、自分の意見を人前で主張するという訓練を学校時代に教育されていないこともあるだろう。
そもそも、普通の日本人は、人前でプレゼンしたり、発表する経験がない。
(そう言い切ってもおかしくないと思う)

僕自身、IT勉強会で発表し始めてから、プレゼンや論文をすごく意識するようになり、自分の意見を主張することの重要性を経験した。
そして、自分の意見を世の中に流布してもらうには、その根拠を明確に提示する必要があると、発表した後に初めて分かった。

今後も注意していく。

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