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2015/11/12

経済学と法律に関するメモ

経済学やビジネス実務法務を勉強し始めてみて、感じたことをラフなメモ書き。
間違えている部分は後で直す。

【0】経済学や法律の内容を読み込んでみると、その背景にある思想や哲学は、自分の常識と違うロジックや観点に基づいているのに気付く。

【1】経済学の理論の前提では、人間の行動基準に仮定を置く。
つまり、人間は経済人モデルであると仮定を置く。

例えば、人間はすべての情報の完全性にもとづき、 合理的な意志決定を行う全知の人間である。
例えば、人は経済活動において合理的に利益を追求する。

つまり、人間は、オマケやブーム、偏った情報に基いて恣意的に行動する存在ではない、と勝手に決める。
感情的に行動を決めるのではない、と。
そこから、利潤極大化や費用最小化のロジックに進んで、一つの経済モデルを作り上げる。

しかし、人間を全知全能で合理的な意思決定を行う存在であると限定するのは、現実的でない場合もある。
だから、そういう場面では、経済人モデルに基づくモデルは現実の経済現象を説明できない。
そこで、別の仮定から経済モデルを作り、何とか現実の経済現象を説明しようとする。

すると、結局、どの経済理論が正しいのか、分からなくなる。
実際、ケインズ学派、新古典派、マネタリストなどたくさんの学派があるが、どれも、ある程度の現象は説明できるが、すべての経済現象を一つの理論でカバーできていないように思える。

経済学には、古典派経済学の第一公準とかコースの定理のように、まるで数学の公理体系に当てはめたかのような用語が出てくるが、とても怪しい。
数学の公理体系を理論として打ち出す場合、そもそもそれら公理がwell-definedであるか、つまり、無矛盾でないかを検証して、一連の補題や定理を導こうとする。

しかし、経済学の公準がそもそもwell-definedであるかどうか、検証しているフシもない。
すると、経済学の公準にはそもそも矛盾が入り込んでいるのではないか?
数学や物理のように、論理的な基盤の上に緻密な理論を作りあげようとしているが、実際はそこまで到達できていない気がする。

でも、マクロ経済学もミクロ経済学も、現代では知っておかねば食い物にされてしまうような気がする。
政治の場でも、ほとんどが景気対策や経済対策に関することばかり議論していることからしても、経済学の知識は必須になっているように思える。

【2】法律の基本である民法のロジックを読んでみると、人間は自然人モデルであると仮定を置く。
例えば、人は売買契約などを自己の意思基づいて、自由に承諾したり拒否することができる能力を持つ、と考える。
つまり、人は、社会の中で自由に契約を結ぶ時に、詐欺や脅迫、間違いなどに巻き込まれても、それに対抗して正しい判断を下せる、という前提を持っているように思える。

例えば、詐欺にあった時、善意の第三者に自分の財産が渡されてしまったら、自分の手に戻すことが基本はできない。
実際、新聞でも、詐欺にあった高齢者は、自分の財産(土地とか株とか色々)が他の第三者に渡った場合、取り戻せないから泣き寝入りしているような記事も見かける。

つまり、法律を読んでみると、だまされた人はスキがあるから、責任を追うべき(帰責)みたいな思想があるように思える。
すなわち、人は自由意志を持ち、自分で正確に判断できる能力を持っているのだから、騙される方が悪い、みたいな発想があるような印象を受ける。

これも一つの人間の見方なのかな。
人間という存在をどんな観点で評価するのか、という違いで、理論が分かれて、色んな結論が出てくる。
そういうことを考えると、自然科学ではなく、人間を対象にした学問は、人間が多様な存在であるがゆえに、たくさんの理論がありすぎて分かりにくい部分があるなあ、と思ったりする。

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