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2020/05/28

ツールを使いこなせる事の重要性が増している

直近2ヶ月のコロ助を経験して、ツールを使いこなせる事の重要性が増している事を感じた。
ラフなメモ。

たとえば、学校の理科の先生がタブレットを使って花壇の花を撮影しようとしたが、写真の撮り方が分からなかった、というニュースが流れていた。
たとえば、塾なども、ほとんどがオンライン授業になっている。

たとえば、スーパーもレジはナイロン幕を張るだけでなく、店員は、客が渡すお金すら、できるだけ触らずにトレイからレジマシンに放り込んでそのまま渡したり、会員カードもバーコードを読み取るだけで手に触れないようにしている。
できるだけキャッシュレスにしようとしている。
たとえば、再開した図書館も、職員は図書館カードをトレイで受け渡しするだけでなく、手袋までしてる。

たとえば、銀行のATMに行って、現金を出して財布に入れることすら、コロナ感染のリスクがある。
銀行振込や引き出しは、オンラインバンキングサービスやモバイルサービスでやるのを銀行自身が推奨している。

たとえば、ほとんどの飲食店や居酒屋は、玄関に「テイクアウト始めました」の看板を出している。
宣言解除前まで、客は居酒屋に入れなかった。

たとえば、IT勉強会やコミュニティ活動は、すべてオンライン配信となり、Zoomで講演を流したり、お互いに議論するのが普通になった。
もちろん、仕事はテレワークとなり、出勤せずに自宅で仕事して、GoogleサービスやSlack、Zoomを使うのが普通になった。

そんな風景が突然現れた。
すると、オンラインでやり取りできるツールに慣れていないと、仕事はおろか、生活することすら不便になった。

スーパーなどの日常の買い物は基本はPayPayやクレジットカード支払い。
飲食店のテイクアウトはスマホで予約して、UberEatで配達してもらう。

勉強会やコミュニティでは、Zoomでやり取りするので、もちろんフレッツ光などの高速な回線がないとやってられない。
仕事もオンラインでやり取りするので、会社ノートPCのセキュリティ担保はもちろん、SSL-VPNを張った時に会社のオンプレサーバーに負荷がかかっても困る。
自宅では、自分も仕事するし、子供もオンライン授業を受けていれば、フレッツ光でも通信速度は落ちてしまい、正直仕事しづらい時もある。
もちろん、子供はPCの操作が分かっている必要があるし、オンライン授業を見ながら自分の理解を深めていくように、自分の学習方法も変えていかないといけない。
先生もタブレットが使えるのは当然出し、自分の授業をオンラインで配信できるように、授業を組み立てて、Zoomも使いこなせる必要がある。

そんな状況を踏まえると、Zoomのようなビデオ会議ツールを使いこなせるだけでなく、キャッシュレスで生活できるようにネットバンキングやPayPayやクレジットカードを使いこなせること、もっと根本的に、スマホでテイクアウトの宅配サービスを受け取れるように使いこなすことが必要とされてきている。

けれど、そういう状況に皆が馴染めたのか、と言われるとそうでもないと思う。
80歳の親を見れば、未だに銀行ATMから現金を引き出し、スーパーでは現金払いだし、スマホをあげても使いこなせない。
何せ老眼なのでスマホは小さくて見にくい。
世の中の情報はテレビや新聞だけから収集している。
スマホからWebを見たり、Youtubeで好きな動画を見たり、SNSから最新の情報を収集することはしていない。
そういう生き方もあるだろうし、今の時代は弱者でも生活できるようになっているので問題はないのだろう。

さすがに年をとって80歳を過ぎれば、過去の人生経験がありすぎて、今までの経験を捨てて新しいツールを使って、新しい環境に馴染むのは辛いかも知れない。
でも、より主体的に生きていくには、新しいツールを使いこなせなければ、欲しいサービスが得られないし、欲しい情報も取得できないし、色んな人達と出会いを求めることができない。

コロ助の影響のため、80歳の親が楽しみにしていたコーラス教室や漢詩教室は無期限延期となり、お隣さんとのやり取りも劇的に減った。
実際に会って話ができる人達は、自宅にいる家族だけ。
たぶん寂しいと思う。

僕も2ヶ月以上、都心部に出てないからリアルに対面で会った知人はいない。
でも、ほぼ毎日、SNSやZoomなどでやり取りしているから、人間関係が劇的に減ったという感覚はない。
人間関係がオフラインからオンラインに変わっただけ、みたいなイメージがある。

そんな経験をふりかえると、新しい環境では、新しいツールを使いこなすことで、以前と同じサービスやコミュニケーションを維持できるんだな、と改めて感じた。
最初は抵抗感もあったけれど、それは生きていくために必要なのだ、と。

「強い者が生き残るのではなく、環境に素早く適応した者が生き残る」という言葉を、今ほど体で経験したことはなかったと思う。

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