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2021年9月

2021/09/26

astahのセミナーレポート「サンプルモデル図で解説、MBSEの流れとモデルの役割」の感想

astahのセミナーレポート「サンプルモデル図で解説、MBSEの流れとモデルの役割」の記事と動画が公開されていたのでメモ。
参考になった。

【参考】
セミナーレポート「サンプルモデル図で解説、MBSEの流れとモデルの役割」 | astah in 5 min

電気ケトルを題材にして、SysMLと安全性の観点からモデルを描いて詳細化していく流れ。

重要な考えは、モデル種類x検討した観点のマトリクスでSysMLのモデルを使い分けること。
モデル種類には、用語、構造、接続性、状態、プロセス、シナリオの6種類がある。
前半がブロック図、後半は状態遷移図、アクティビティ図、シーケンス図に対応する。

検討した観点には、Usage、Function、Implementationなどがある。
順に詳細化していく感じ。

気づきは、SysMLのそれぞれの図は関連していること。
動画を見ると、ブロック図やユースケース図の要素にハイパーリンクがあって、リンク先にブレイクダウンしたシーケンス図やステートマシン図がある流れだった。
こういう風にモデルがトレースされて作られていくならば、説明しやすいし理解しやすいと思う。

ブロック図の使い方は分かっていなかったが、利害関係者を含むコンテキスト図やハードウェア部品構造、機能とハードウェア部品の関係に使うらしい。
SysMLではブロック図が一番重要なモデルに思える。
ちょうど、UMLではクラス図が一番重要であるように、SysMLではハードとソフトが関係するモデルとしてブロック図が設計図に相当するように思えた。

個人的には、モデリングのプラクティスみたいなものも資料に添えられたら役立つだろうと思った。
たとえば、オブジェクト指向設計でも、SOLID原則、GRASPパターンのような基本プラクティスがあり、そのプラクティスを使うことで、クラス図の責務割当がスムーズに行くからだ。
SysMLでも、オブジェクト指向設計のプラクティスは使えるだろうが、SysML特有のプラクティスや組み込みソフトウェアならではのプラクティスが知りたいところだった。

この辺りは色々調査してみたい。

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2021/09/12

コロナ後は大転職時代が始まるらしい

コロナ後は大転職時代が始まるという記事を見つけたのでメモ。
とりとめもないラフなメモ。

【参考】
さめさんはTwitterを使っています 「中島聡さんのメルマガより ほんまこれだと思うわ https://t.co/tjXXuNtGTe」 / Twitter

大量(自主)退職時代の到来?The Great Resignation?(1)|後藤 宗明(Virbela 日本代表 / 一般社団法人ジャパン・リスキリング・イニシアチブ代表理事)|note

The 'Great Resignation' Is Really the 'Great Discontent'

2020~2021年は、世界大恐慌、第2次世界大戦、冷戦終結に匹敵するぐらいの時代の変化らしい。
世界恐慌はThe Great Depression。
2008年の金融危機(リーマンショック)はThe Great Recession。
2020年の新型コロナウイルスに対する大規模な都市封鎖による景気後退は、The Great Lockdown。
そして今はThe Great Resignationという大量(自主)退職時代らしい。

中島聡さんのメルマガを少し読んだりして理解した内容ではこんな感じ。
新型コロナウイルス予防に対する大規模な都市封鎖による景気後退に対し、米国政府は全国民に一律に膨大な失業手当を割と長期間供与した。
この間、米国民は自宅に閉じこもり、在宅勤務に強制されたが、その分、家族との時間も増えて、失業しても失業手当が出ているので、事実上のベーシックインカムを与えられた状況になった。
すると、今のように、失業手当というベーシックインカムが与えられて在宅勤務で十分やっていける状況では、もはや大都会で通勤したり、育児をアウトソースする必要もなくなる。
つまり、自主的に退職して、人生を謳歌する人もいれば、家族の生活を重視したり、自分が本来やりたいことに注力する生き方も生まれてくる。

2000年代前半にダニエル・ピンクが「フリーエージェント社会の到来 新装版---組織に雇われない新しい働き方」という著書を出版されて、それが今は現実になった。
そして今は、大退職時代により、人々は無理に働く必要もなくなるわけだ。
こういう状況がずっと続くとは思えないが、元の生活に戻ることは完全にはないだろう。

こういう記事を読んで疑問に思うのは、こういうベーシックインカムのような状況では、人はどのような行動を取り、生活様式になるのか?
本当に人は幸せになるのだろうか?

世の中の大半の人は、自分がやりたいことを仕事にするのではなく、家族のため、生活のために仕事して給与を得て生きているのが普通だ。
そんな大半の人達が、こういうベーシックインカムの世界に放り込まれると、幸せになれるのだろうか?

この疑問に対して思考実験した記事は下記がある。

ベーシックインカムの世界 - Chikirinの日記

僕の理解では、人はより露骨に欲望通りに行動するようになる。
生活の不安がないから、結婚生活に不満があればすぐに離婚できるようになる。
働く必要がないから、朝から酒を飲んで競馬をやってゲームをしても生きていける。

もう一つ参考になるのは、過去にベーシックインカムがあった時代があれば参考にできること。
実は「現代経済学の直観的方法」では、古代ローマ帝国のローマ市民がそれに当たるという。
実際、彼らローマ市民は帝国内の属領、奴隷から得られた生産物を消費するだけであり、それはパンとサーカスで与えられて、生産活動に従事する必要はなかった。
では、彼らは幸せだったのか?

世界史講義録の中では、こんな一節がある。

世界史講義録・ローマの文化

奴隷のような一人の人間もストア派のように心の平安を保とうとしていた。
一方、ローマ皇帝のような権力者も、奴隷のエピクテトスと同じストア派の人もいて、精神の平安を一所懸命求めている。

(引用開始)
ローマの貴族達は贅沢三昧で吐いては食べ、産んでは捨て、と滅茶苦茶ですが、そんな生活をしながらも心の奥底ではヒュ~っとすきま風が吹いていたんではないか。
贅沢で精神の平安は得られない。
皇帝がストア派哲学者であるということは、まさしく彼らの心を象徴している気がしてなりません。

奴隷も皇帝も心が求めているところは案外近いところにある。
単純に「心の平安」といっておきましょう。
ちょっと先走りしていうと、これを哲学ではなく宗教という形でローマ人に与えたのがキリスト教だったのではないか。だから、あっという間にキリスト教がローマ帝国に広まったと私は考えています。
(引用終了)

つまり、ベーシックインカムの古代ローマ市民は最後は心の平安を求めた結果、キリスト教の救済を受け入れて、次の時代へ進むことができた、と。

そんな過去の歴史を考えると、お金や生活費という不安がなくなったとしても、人は不安定な存在であり、何らかの倫理や哲学がなければその精神を正常に保てないのだろう、と思う。
それが宗教かもしれないし、別の価値観なのかもしれない。

一方、実力も運のうち 能力主義は正義か? | マイケル・サンデル絶望死のアメリカや、無理ゲー社会上級国民/下級国民のように、能力があり評判も良く自分らしく生きていける上級国民と、能力がないと比較され評判もなく自尊心を傷つけられた下級国民に分断された時代になるという話もある。

結局、人は関係性の中で生きているので、他人に囲まれている中で自分の心の平安を保つのは非常に難しいのだろうと思う。

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