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2022/02/02

諸問題を組織論に持っていくのは目的を手段化していないか

諸問題を組織論に持っていくのは目的を手段化していないかと気づいたのでメモ。

【参考】
(1) ひさてるさんさんはTwitterを使っています 「エンジニア意識高くなると組織論みたいなとこに興味出てくるのはそうなんだけど、技術とドメインにこだわることから離れてマネジメント手法こそが最優先みたいな思想を見ると、いくらアジャイルのプロセスなんだぞと言ってても、やはり人は大地から離れて生きていくことはできないのという気持ちになる」 / Twitter

(1) 杉本啓さんはTwitterを使っています 「本当にそう。組織論にかぶれると、あらゆることが組織の問題に見えてくる。コンサルティング会社にいたころ、同じプロジェクトにアサインされたコンサルタントに、問題構造分析で、すべての問題構造図で「根本の問題」の箇所に「組織が悪い」と書く人がいて、辟易した。 https://t.co/jNsklAq4a7」 / Twitter

(1) akipiiさんはTwitterを使っています 「チャンドラーの、組織は戦略に従うの経験則に、暗黙的に流れてるのだろうと思う。こういうビジネスが必要だと思っても、人や組織がマッチしてないじゃないか、と分かって、組織づくりばかりに専念してる感じかな?」 / Twitter

(1) 杉本啓さんはTwitterを使っています 「僕が、コンウェイの法則をあまり好きじゃないのも、この辺が遠因。」 / Twitter

DXとは組織論である」みたいな論調が最近はやたら多い。
確かにその傾向はあるだろう。
DXを実践するには、IT化した業務、ソフトウェアを基盤にしたビジネスモデルが必要だから、それを実行できる人や組織が必要だ。

しかし、その本質は、「組織は戦略に従う」というチャンドラーの経験則に過ぎないと考える。
なぜなら、DXを実現する経営戦略が先にあって、その戦略を実行できる組織が必要だよ、という事実が、たぶん、どこにでも普遍的に見られるだけだからだ。

だから、色んな諸問題を組織が悪いから実行できないのだ、だから組織を何とか変えよう、という動きに進んで、それが自己目的化していないだろうか?
本来は戦略を実行するのが目的なのに、組織を変えることが目的化してしまっている、みたいな場合が日本では割と多いのではないか。

そして、なぜ、色んな諸問題を組織が悪いから実行できないのだ、という論点にすり替わってしまうのか、という問題の原因も見えてくる。

実は、「組織(構造)は戦略に従う」というチャンドラーの経験則とは逆に、「戦略は組織(文化)に従う」というアンゾフの経験則がある。
たぶん、会社の偉い人が意思決定した戦略に社員を従わせたいのに、実際はうまく行かない原因は、社員が従わないからだ。
それは組織文化にあるからだ、ということなのだろう。
特に官僚組織では、その組織形態そのものがなかなか変わらないので、長年の慣行が組織文化として固まってしまう場合が多いだろう。

野中郁次郎先生の「失敗の本質」を読むと、日本人は、「組織(構造)は戦略に従う」「戦略は組織(文化)に従う」という経験則に振り回されているような印象を受ける。
本来は、組織は戦略を実行するための仕組みの一つに過ぎないのに、その仕組が暴走自動車みたいにハンドル操作が効かなくなり、勝手にあらぬ方向へアクセルを踏んで自爆した、みたいな感じ。

一方、特に米国のMBAの参考図書に上がっている組織人事論の本とか読んでいると、彼らは、組織を動かすための能力やスキルへ抽象化して、誰もが身につけられる普遍スキルに仕上げているように思える。
リーダーシップ論などは特にそう思う。

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