中国人の価値観の考え方
5月連休で読んだ本のうち、中国人の価値観に関する本が良かったのでメモ。
ラフなメモ。
中国では、外界と隔離された超監視社会という「異形の未来社会」が気づかぬうちに進行している[橘玲の日々刻々] | 橘玲×ZAi ONLINE海外投資の歩き方 | ザイオンライン
日本人と中国人は、顔や体型も似ているし、漢字という似た言葉を使っているのに、お互いの価値観は全く違う。
欧米人から見れば、同じ黄色人種だし、同じ漢字を使っているのに、なぜあんなに相互理解できないのか、と思われるだろう。
日本人でさえ中国人の言動や行動が理解できているとはいえない。
上記の本を読んで理解したことは、中国人と日本人の価値観の違いは、中国人の置かれている環境は日本人とは異なるからだ、という一点に尽きると思う。
環境の違いとは、結局、人口が多すぎることだ。
政府や公共機関の管理できる範囲以上に、大人口の集落が多すぎるために、政府が下々の国民を個人レベルまで管理できないから、法治主義が浸透せず、人々の自治に任せている。
したがって、私的自治の原則により、人々は血縁関係を元に政治的秩序を作り出し、人治主義になっている。
また、中国はその国土の広さに比べて人口が多すぎるために、競争が激しくなり、対人関係に人一倍気を使う必要がある。
すると、中国では、朋友関係という人間関係を元に親密な人間関係だけの人間集団を作り出し、その人間集団の中で生きるという仕組みを古来からずっと続けている。
その仕組みは、一昔前の日本のヤクザのような関係に近い、と言ってはいけない中国の真実(新潮文庫)では言う。
実際、一昔前の中国で人気のあった日本人男優は高倉健だったという理由は、そういう雰囲気の中で最も親しく感じる面があったから、と言う。
中国人の人口が多すぎるという環境がいかに我々の想像から外れている点については、たとえば、言ってはいけない中国の真実(新潮文庫)、世界史とつなげて学ぶ 中国全史、近代中国史 (ちくま新書)では、中国と日本における集落と人口の関係図がすべての本で図表で表示されている。
下記に画像がある。
江戸川の畔(ほとり):「近代中国史」岡本隆司著 - livedoor Blog(ブログ)
中国と日本における集落と人口の関係図では、日本では、政府>都道府県>市町村>聚落まで、鋭角三角形になっているので、政府が個人レベルまで管理統制できる範囲内にある。
実際、江戸時代の幕藩体制は集約封建制と言われていたが、封建制度を元にしながら、土地と農民を個人レベルまで管理統制できていた。
その分、権力が個人レベルまで統制しているわけで、日本人は集団主義だ、日本人は組織に従順だ、という事実が、その歴史が現代日本まで続いている。
一方、中国では、政府>省までの三角形と、都市>聚落の台形では構造がいびつに分かれている。
この台形構造が意味することは、中国政府が個人レベルまで管理統制できていない事実を示している。
あまりにも人口が多すぎて、大都市が多すぎるがゆえに、組織の4原則で言われる「管理の統制範囲」「スパン・オブ・コントロール」が取れていないことを示しているのだろう。
すると、政府や公共機関が本来やるべき法治制度が国民全てに行き渡らず、住民同士に任せているために、私的集団が法治制度から外れて、権力の強い者に弱い人達が従ったり、そうならないように人々が集団で団結して集団の自治制度を設けるという方向にゆくのだろう。
結局、日本と中国の環境要因の差がお互いの気質や価値観の違いを生み出し、現在に至るまでお互いに根本から理解し合えない原因を生み出しているのだろう。
中国の国土を見ると、黄河や揚子江のような大河が東西に流れて、温暖な気候に恵まれて、大量の人口を養える肥沃な土地であるために、逆に人口が多すぎて競争が激しく、政府が管理統制できない社会的環境がつい現在まで続いていたのだろう、と思う。
こういう観点から中国史を改めて読み直すと、歴史上の史実は実は単純に理解できるのかもしれない。
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