「採用基準」「生産性」を読み返したらいろんな気付きがあった。
ロジカルでないラフなメモ書き。
【参考】
「採用基準」の感想~日本の根本問題はリーダーシップの総量が不足していること: プログラマの思索
DXとは組織論である: プログラマの思索
Slack導入がDXに繋がる話: プログラマの思索
諸問題を組織論に持っていくのは目的を手段化していないか: プログラマの思索
ITの地殻変動はどこで起きているのか?~今後の課題はソフトウェア事業におけるエージェンシー問題を解決すること: プログラマの思索
失敗の本質―日本軍の組織論的研究の感想: プログラマの思索
プログラマとスクラムが社会実装を変えていく #Findy_GovTech: プログラマの思索
デジタル庁が解くべき課題とITエンジニアの役割の勉強会の感想~CTOの役割とは何ですか?: プログラマの思索
みんなのPython勉強会#65の感想~社会変革の鍵はIT技術者にあるのかもしれない: プログラマの思索
マッキンゼーの報告書「2030 日本デジタル改革」が手厳しい: プログラマの思索
【1】最近の日本のIT業界を見ていると、主に2つの現象が目につく。
一つは、DXに向いた組織を作ろう、という組織論の話。
もう一つは、DXを実現するためにアジャイル開発をもっと積極的に導入して運用しよう、という話。
この2つの話の背景には、2つの問題意識が真因として隠れていると思う。
具体的には、組織論の話題、アジャイル開発の話題の背後には、日本人はリーダーシップが不足していること、日本人は生産性の意識も言動も非常に低いことだ。
【2】今のビジネス界隈では、DXがバズワードだ。
DXを実現するには、既存の業務であれ、新規の事業であれ、ソフトウェアでコスト削減、さらには売上の創出が求められている。
DXを実現するには、ソフトウェア開発者、そしてそれを取り囲む組織という基盤が必要だ。
しかし、DXに関する組織論のテーマはすごくフワフワとしていると思う。
命令指揮系統ではなくフラットに風通しを良くしよう、心理的安全性が担保されるような組織風土を作りましょう、という組織文化の話題が多い。
だがそういう甘い言葉の背後には、今までの組織文化や事業スタイルを捨てて、新しい事業や新しい組織の関係を作ろうとする原動力が必要なのに、たくさんの壁にぶち当たる怖さが説明されていないように思える。
だから、何となく、現状を批判するだけで何も変わらない、という現象が出ているように思える。
実際は、既存の組織風土を変えるのは、今までの人間関係や組織との関係を変えることであり、自らリーダーシップを発揮して動いていかなければ何も変わらない。
ものすごく自頭の良い人やできる人に従ってやれば問題解決するわけではない。
自らチェンジ・エージェントになり、たくさんの困難な壁にぶち当たるごとに、一つずつ壁を壊したり乗り越えていくパワーが必要になる。
「採用基準」では、問題解決には、問題解決スキルだけでなく、問題解決リーダーシップ(Problem Solving Leadership)が必要と主張している。
たとえば、目の前に起こったいじめの問題に対し、MECEやロジックツリーだと言っても何も変わらないし、実際に解決するように行動して初めて、問題解決の方向に動き出す。
それが本来のリーダーシップ。
すると、このリーダーシップの背後には、「自らリスクを取る」という概念が隠れていることが分かる。
自分の思いどおりに変わらない状況に対し、自分と異なる価値観を持つ人を説得して調整したり、自分が持っていない知識やスキルはそいうう専門スキルを持った人たちに働きかけてチームとして問題解決を図ることが必要になってくる。
そういう行動は、思い通りの結果にならないかもしれないリスクに自らチャレンジすることを求める。
しかし、日本人はリスクを取りたがらないと一般的に言われている。
すべてのリスクを回避してリスクをゼロにすることばかりに専念している。
だから、リスクを取ってリーダーシップを発揮するという行為、選択肢が取りにくい人が日本には多いのだろう。
実際、「採用基準」に記載されている通り、日本人はチームプレーでチームに貢献した成果を問われる経験が極端に少ない。
たとえば、小中高校生なら、受験という行動はその人だけの能力測定試験であり、個人プレーにすぎない。
社会人になっても、プロジェクトリーダーや管理職にならない限り、自分だけの仕事の成果しか問われない。
すると、一般職の日本人は一生、チームでの成果を求められる、というリーダーシップ経験を積まずに終わる人が多い。
そんなリーダーシップ経験のない人は、わがままな振る舞いが多い。
チームで成果を出すためにそれぞれの役割を認識せず、自分が一番成果を出しやすい行動に走ってしまいがちだから。
自分が成果を出しやすい個人プレーに走るのは、自分が苦手な場面に行動するリスクを取らないことにも通じる。
そんなことを考えると、リーダーシップ不足という弱点をごまかして隠すことで、組織論というふわふわしたテーマに流れてしまうのだろう。
そしてリーダーシップ不足という日本人論の問題点は、日本人はリスク許容度が低いことに真因があると思う。
【3】アジャイル開発は20年以上前から提唱されているのに日本ではなかなか導入すらされなかったが、ここ最近になって積極的に取り入れようとする流れが出てきた。
アジャイル開発の本質は一体何なのか?
僕は、アジャイル開発とは時間価値を最優先にしたソフトウェア開発だ、と一言で言えると考える。
WF型開発のように、時間も労力もかけて品質を作り込んで、高品質なソフトウェアをリリースするのではなく、小刻みにいち早くソフトウェアをリリースすることで売上もキャッシュも獲得していく戦略を取る。
1年間で1回のリリースではなく、5回リリースできるなら、5回分のフィードバックが得られて、その分、市場ニーズに合ったソフトウェアへいち早く開発できるようになる。
つまり、リリース頻度が5倍多いなら、ソフトウェアの価値も5倍高まるメリットが生まれる。
では、なぜアジャイル開発は日本で受け入れられなかったのか?
アジャイル開発の源流はトヨタ生産方式と言われていて、日本人にも馴染みがあるのに、なぜアジャイル開発は日本人にフィットしなかったのか?
たぶんその最大の理由は、ソフトウェア開発の生産性が低いことが問題だ、という意識が非常に薄いことだと思う。
官公庁みたいな縦割り組織の日本人は生真面目なタイプが多いので、決められたルールに従う方が重要であり、コストや期間を度外視したり生産性を重視する行動に行きやすい。
また、ソフトウェア開発者派遣のような人月ビジネスでは、たくさんの工数がかかるほど儲かるので、生産性を上げるモチベーションがビジネスモデル上生まれにくい。
今の日本の製造業では生産工程の改善により原価低減による付加価値向上を目指すが、3%の生産性向上よりも30%以上、2倍以上の生産性向上を目指すような、イノベーションを取るような行動が生まれていない。
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生産性が低い現象が問題だ、と考えて、その問題解決を図ることにより、生産性をさらに大幅に向上させるという正のループを作り出せていない。
特に、3%の生産性向上のようなちょっとした改善ではなく、30%や2倍以上の生産性向上を図ろうとすれば、今までのやり方を捨てて、新たなアイデアを試す、といったリスクを取らなければ実現できないだろう。
しかし、今までリスクを取ったことがない人が、いきなりハイリスクハイリターンの選択肢を取るのは非常に難しいだろう。
なぜならば、仕事でもプライベートでも、そういうハイリスクハイリターンの練習を経験していなければ、実践で試すことは難しいだろうから。
日本人の生産性が著しく低い、という点にも、日本人はリスクを取りたがらない、という現象がその問題の背後に隠れている。
つまり、「ソフトウェア開発のように、時間価値が重要な意味を持つビジネスでは、生産性に比重をおいて時間戦略を取るべきだ」という考え方が日本人も日本企業も受け入れられていないからだ。
その真因には、日本人のリスク許容度が低いこと、土建業界やIT業界に限らず自動車業界においても日本のあちこちの業界で多重請負ビジネスがはびこっていることにあるのだろうと思う。
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【4】リーダーシップ不足や生産性が著しく低いという現象には、リスクを取らないという日本人の気性が出ているのではないか。
あえてリスクを取ることで、大きなリターンを得る、というハイリスクハイリターンの選択肢を最初から捨てている場合が多いのではないか。
リーダーシップがあり、生産性が高い人は、いろんな問題解決に対してリスク許容度が広いので、かなり大きなリスクを自ら選択することができる。
つまり、リスク対応力とその人の問題解決能力は比例しているのだろうと思う。
【5】組織論やアジャイル開発をテーマにしている人たちは、日本人の弱点である「リーダーシップ不足」「生産性が著しく低い」「リスク許容度が著しく低い」という真因におそらく気づいている。
その真因をいろんな角度から、いろんな言葉で、いろんな手段で解決を試みようとしているのだろうと思う。
そういう観点を持って、今のDXにかかわるテーマを取捨選択して聞いてみたいと思う。
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