映画「ひまわり」の感想をメモ。確かに名作だった。
ウクライナで撮影された名作映画『ひまわり』全国各地で拡大上映へ|ORICON NEWS|Web東奥
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【1】映画を見たきっかけは、舛添さんのツイートで気になったことだった。
舛添要一さんはTwitterを使っています 「1942年夏、ヒトラーはスターリングラードを攻略。ムッソリーニはイタリア軍15万人を派遣。独軍敗北。イタリア軍もまた大敗北し、2万5千人が戦死し、7万人が捕虜になり、祖国に帰還できたのは1万人のみ。この悲劇が伊映画『ひまわり(I Girasoli)』(1970年)の物語だ(続く)。https://t.co/iSyBhp8NPH」 / Twitter
学生時代に既に見たが、イタリア人夫婦の悲恋の物語ぐらいのイメージで、あまり心に残ってなかった。
しかし、今見直すと、映画のシーンにはたくさんの意味が込められていることが分かって、すごく引き込まれた。
自分が理解できたことをメモしておく。
【2】映画「ひまわり」の舞台は今、ウクライナでの戦争地域そのものにある。
タイトルにあるひまわり畑は、ウクライナのヘルソン州にあると言われている。
ウクライナ大使館のHPによれば、そこは今、ロシアが侵攻して激戦地になっている場所のはず。
在ウクライナ日本国大使館:エピソード集(日本語)
平和であるはずのひまわりの畑が今、まさに激戦地になっていると思うと、やりきれない気持ちになる。
だからか、今、日本でも映画「ひまわり」が注目されて、各地で上映されているらしい。
News Up 「戦争とは何か」 ウクライナ侵攻で再注目の映画「ひまわり」 | ウクライナ情勢 | NHKニュース
【3】ひまわりには本当に数多くの意味が込められていることが分かった。
まず、美しく咲き乱れるひまわり畑の下には、捕虜となったイタリア兵やロシア兵の死体が数多く埋まっているらしい。
映画では影絵のようにそのシーンが現れる。
ひまわり畑には墓碑もあって、ご覧なさい ひまわりやどの木の下にも麦畑にもイタリア兵やロシアの捕虜が埋まっています、ここから帰還したイタリア兵はいませんよ、と付添の者からも言われる。
つまり、あのきれいなひまわりは、戦争で亡くなった人たちを養分にして咲いている。
そして、そのひまわり畑でも、現に今同じような戦争が起きて、また死体が積み重なるのだろうと思うとやりきれない。
2つ目は、ひまわりは"あなただけを見つめる"という花言葉だそうだ。
「ひまわり」は女性を表していて、愛する夫(太陽)を追い続ける存在という比喩であるらしい。
つまり、ジョバンナは愛する夫アントニオの存在を異郷のロシアまで追い続けてきたというストーリーにもつながる。
しかし、ジョバンナがアントニオの居場所を見つけた時、彼は自分を凍死状態から救ってくれた若いロシア人女性と結婚して子供まで作っていた、という悲恋が待ち受けていた。
3つ目は、ひまわりはロシアの国花だそうだ。
日本なら桜に相当するだろうか。
このひまわり畑の上でロシアが戦争しているのを見ると、因縁みたいなものを感じる。
ひまわりとは関係ないが、ウクライナとロシアの戦場は、ドニエストル川やヴォルガ川付近だ。
この辺りの地域は、インドヨーロッパ語族の祖国に当たると言われている。
つまり、今の英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語などを話すヨーロッパ人は、この地域から移動してきた祖先の子孫に当たる。
そんな祖先の故郷で今まさに戦争が起きているのを見ると、欧米人の因縁、業の深さ、原罪みたいなものがあるのかなと想像してしまう。
【4】独ソ戦の過酷さを念頭に置いて映画を見直すと、あまりにもリアルに感じる。
独ソ戦 絶滅戦争の惨禍 (岩波新書) | 大木 毅 によれば、第2次世界大戦の独ソ戦は、日本人の戦争体験よりも遥かに凄絶だ。
太平洋戦争で日本人約8000万人のうち戦死者は約400万人で5%だが、ソ連側は約1.8億人のうち戦死者約3000万人で約20%近く、ドイツ側は約7000万人のうち戦死者約800万人で10%以上が死んだ。
なぜなら、独ソ戦は通常の限定戦争ではなく、絶滅戦争の性格を持っていたために、相手側の領土を奪うだけでなく、そこに住む人を徹底的に根絶やしにするほどの凄絶な戦いだったからだ。
しかし、ロシアの過酷な冬で、ナポレオンのフランス軍も、そしてドイツ軍も破れた。
ジョバンナの夫アントニオは過酷なロシア戦線に送られるが、たぶん、スターリングラード攻防戦にも関わったのでないか。
スターリングラード攻防戦はドイツ軍とソ連軍の戦いと思っていたが、スターリングラード攻防戦 - Wikipedia を読むと、イタリア軍も含まれている。
この事実は僕も知らなかった。
舛添さんのツイートが正しいならば、イタリア兵15万人が送られて、戦死者2.5万人ものぼり、祖国に帰還できたものはわずか1万名だから、90%以上のイタリア人兵士は死んだか、行方不明になったことになる。
スターリングラード攻防戦は、ドイツ軍もソ連軍も合わせて死傷者200万人を越えるひどい戦場だった歴史をふりかえると、映画の舞台の過酷さが分かる。
実際、映画のワンシーンには、雪の中の丘に突然翻る赤旗と、ソ連軍の落下傘部隊、スキー部隊、雪上車部隊による戦闘シーンが影絵のように流れる。
画面いっぱいに翻る赤旗は、配送する枢軸国の兵士に対するソ連軍の圧倒的な勢いを表し、戦場に流された多くの兵士たちの血をイメージしているらしい。
映画のシーンには、深い雪の中で敗走を続けるイタリア兵士たちが疲れ切った姿で歩き続けていて、最後には、アントニオがもう歩けず雪上に倒れて友を見送る場面がある。とてもやりきれない。
【5】映画には伏線となるシーンがたくさんばら撒かれていて、最後にその意味が分かる。
ジョバンナが持っていた、夫の写真。
彼女はこの写真を片手に、異郷のロシアで夫を探す。
しかし、彼女が夫を見つけた時、夫には、彼を凍死状態から助けて介助してくれた女性と子供まで作っていたことを知って、列車に乗って逃げる。
そこに、彼女が落としていった夫の写真の裏には、愛するジョバンナへ、アントニオより、と書かれていた。
彼は、この写真を手に取り過去を思い出すことで、イタリアの母親の死に際に会いたいという理由でイタリアに戻り、ジョバンナに会おうとするアクションのきっかけになる。
映画のクライマックスのシーンでは、いくつかのアイテムが伏線として回収される。
その点が分かると、この映画がとてもロジカルに作られているのが分かる。
アントニオから新婚旅行で贈られたイヤリング。
ジョバンナは、アントニオが来ると電話で聞いて、十数年ぶりにそのイヤリングを付ける。
一度は会うのを拒んだのに、愛する夫にきれいに見せたい、あるいは、あなたが新婚旅行で贈ってくれたイヤリングを付けているのよ、と言いたい気持ちなのか。
ジョバンナは、自分の赤ん坊の息子の名前にアントニオを付けていた。
自分が愛した男の名前を付けていたわけだ。
ジョバンナがアントニオへの愛を忘れていなかったことを暗示している。
アントニオはジョバンナに毛皮をプレゼントした。
映画のプロットポイント1のシーンでは、アントニオがロシア戦線に向かうときに、「すぐに帰ってくる。毛皮を土産に」とジョバンナに言った場面がある。
彼は、十数年ぶりにその約束を果たしたわけだ。
彼はジョバンナを愛していたからこそ約束していたことを忘れていなかったことを暗示している。
【6】この映画では列車が重要な意味を持っている。
実際、印象的なシーンには必ず列車が使われている。
・戦地へ旅立つ夫アントニオを乗せた列車。
・帰還を信じて夫の写真を手に列車を待つジョバンナ。
・夫アントニオに妻と子がいる事を知り、ジョバンナが逃げるように飛び乗った列車。
・夫アントニオと再会しても、お互いに妻子がいて感情がすれ違い、永遠の別れとなる列車。
愛する男女の仲は、列車という自分たちの意思ではコントロールできないものによって、引き裂かれてしまう、という意味を暗示しているのだろうと思う。
プロローグやエンドロールで流れるクラシックなテーマ曲(名曲!)とともに、画面いっぱいに広がるひまわり畑の美しさが鮮やかで、また悲壮感が漂う。
この映画では一貫して主要な場面では、このクラシックなテーマ曲が流れる。
この曲のフレーズが映画のシーンに絡められて、人々の記憶に残るのだろう。
【7】映画「ひまわり」は名作と思う理由の一つは、喜怒哀楽のユーモアや緊張感が単調ではなく激しい起伏があって、感情を呼び起こすから。
プロローグでは、ジョバンナとアントニオが陽気なイタリア人らしく、キスしたりやたらベタベタする場面がある。
そして、アントニオの徴兵を回避したいために、ジョバンナとアントニオは、徴兵されるときに結婚したら、結婚休暇が12日間もらえることを理由に、彼らは結婚式をあげて、わずか12日間だけの夫婦で新婚生活を楽しむ。
卵30個以上のオムレツづくりとか、コミカルな場面が多い。
しかし、映画の中盤以降は、ロシア戦線の激戦地や過酷な冬のシーン、多数の死んだ兵士や農民が埋まっているひまわり畑、そして、夫を見つけたのに取り戻せないと知ったジョバンナの悲しみ、最後に、お互いに愛が残っていても感情がすれ違って永遠の別れを告げる場面、へ流れるように、一転して、辛く悲しい感情が押し寄せる。
つまり、アップテンポのシーンで上げておいて、後半では辛く悲しい場面を流すことで感情の起伏を故意に作っている。
実際、後半では、イタリア人の陽気さの雰囲気が全く出てこない点が、感情の落差をもたらし、人々の印象に残る仕掛けになっているのだろう。
【7-2】また、映画「ひまわり」は名作と思うもう一つの理由は、脚本の三幕構成で上手く作られていること。
一般に、三幕構成の理論では、序盤・中盤・終盤の3つで構成されるが、上映時間を4分割した時に、序盤は最初から1/4まで、中盤は1/4から3/4まで、そして終盤は3/4から最後までで時間配分されている。
序盤と中盤の境目はプロットポイント1という区切りの事件、中盤と終盤の境目にはプロットポイント2という区切りの事件が設定されて、三幕構成のストーリーの質が劇的に変わるように仕組まれている。
また、中盤の真ん中のシーンにはミッドポイントが置かれて、この映画が最高潮に印象付けられるシーンが配置される仕組みになっている。
映画「ひまわり」では、プロットポイント1は、夫アントニオがロシア戦線に向かう列車をジョバンナが見送るシーンになっている。
つまり、序盤は甘い新婚生活の流れだったが、ここでそれまでの流れは断ち切られて、中盤の重苦しい独ソ戦の悲劇、行方不明となったアントニオを探すストーリーへ映る。
実際、プロットポイント1は映画の上映時間の1/4辺りに置かれている。
ミッドポイントでは、ジョバンナがロシアでマーシャの家を見つけてその経緯を知り、アントニオと再開できるが、妻子がいることを知って、ジョバンナが列車に逃げ込むシーン。
このシーンはこの映画で一番感動的なシーンとして、Youtubeでもたくさん流れている。
最後にプロットポイント2は、アントニオがイタリアに戻って、ジョバンナと再開するために会いに行くシーン。
ここから、2人の関係は、お互いに愛が残っていても、お互いに家族がいることが分かり、最後に、夫がロシア戦線へ出征する時に見送った時と同じ駅で、妻が夫を見送るラストシーンへつながる。
つまり、最後の感動的なラストシーンというクライマックスへつながる事件として、ジョバンナに会うためにイタリアへ行くきっかけの事件がプロットポイント2で設定されている。
すなわち、プロットポイント1・2、ミッドポイントというシーンを三幕構成に合わせて配置することで、映画のストーリーがコンポーネントのように上手く組み立てられていて、感情の起伏もそれに合わせるように人々の感情に働きかけるように作られているわけだ。
こういうロジカルな構成が名作と言われるどの映画でも構成されていると分かると、映画を見るのがより楽しくなってくる。
【8】映画「ひまわり」は1970年公開とあって、映像自体は今よりも遥かに素朴で洗練されていない。
しかし、各場面のシーンを後から見直すと、ここに以前使った伏線が使われているのか、とか、映画のストーリーがロジカルに作られているのが分かる。
すべてのシーンが映画の主テーマである男女の愛を戦争が引き裂いた悲劇のストーリーに沿っている。
たぶん、映画を作った監督も、ロジカルに組み立てる意思を強く持って、ストーリーとシーンを作り込んだのだろうと思う。
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