ビジネス・歴史・経営・法律

2022/09/10

アトキンソン氏の中小企業再編成論、生産性向上は処方箋を提示していると思う

新・日本構造改革論 デービッド・アトキンソン自伝 | デービット・アトキンソンを読んだ。
アトキンソン氏の中小企業再編成論は、生産性向上は、解決策となる処方箋を提示していると思う。
アトキンソン氏のロジックを理解した内容で書く。
気づきをラフなメモ。

【参考】
「中小企業の生産性向上」が日本を救う根本理由 | 国内経済 | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース

【1】日本経済が30年以上低成長である問題とその原因について、色んな有識者が数多くの意見を述べてきた。
アトキンソン氏の主張は簡単だ。

日本は少子高齢化社会で人口が増えないどころか減少する時代に入ったのに、従来と同じ仕事のやり方で生産性を上げてこなかったから、GDPが伸びない。
今後の日本は、GDPを増やすよりも、少なくなった人口で生産性を高めて賃金や収入を増やす方向へ変換すべきだ、と。

ロールモデルとなる国は、先進国で唯一人口が増えている米国ではなく、1億人に満たない中堅国である欧州諸国だ。
なぜならば、欧州諸国は人口規模が小さいので、GDPという規模では米国や中国に負けるが、1人あたり生産性、1人あたりGDPではトップクラスにあるから、と。

一方、アトキンソン氏の中小企業再編成論を批判する - 同友館では、中小企業診断士または商工会議所の立場から、アトキンソン氏が主張する中小企業政策を批判しているが、重箱の隅をつついている感じを受けた。

また、アトキンソン氏の「中小企業は再編すべき」という説を徹底検証 | 識学総研でもアトキンソン氏の主張を批判しているが、重箱の隅をつついている感じは同じだった。

【2】アトキンソン氏の主張の一つは、労働参加率は頭打ちなので、労働生産性を高めるべきだ、という内容。
1人辺り生産性は下記の公式で因数分解できる。

1人辺り生産性=GDP/総人口=GDP/生産人口 x 生産人口/総人口=労働生産性 x 労働参加率

労働参加率は失業していない人の生産量に貢献する。
なぜならば、生産人口=総人口-高齢者-子供-失業者(専業主婦や女性なども含む)だから、総人口が減っても、生産人口を増やせば、GDPに貢献する。

たとえば、安倍政権のもとで女性活躍推進政策、70歳までの高齢者の雇用努力政策などを進めることで、女性や高齢者を勤労者として流入させてきた。
しかし、日本の労働参加率は世界的に見てもトップクラスであり、これ以上増やすことは難しい。

一方、労働生産性は働いた人の生産量に貢献する。
つまり、労働生産性は労働者1人当りの年収、時給に相当する。
日本の時給、年収は、先進国の中でも低いレベルなので、伸びしろがあり、ここにテコ入れする価値がある。

アトキンソン氏によれば、2050年頃の日本の経済を今のレベルで維持するには、最低時給は2500円まで上げる必要があるだろう、と書かれていてビックリした。
今のサラリーマンの残業代の時給は正直3千円程度だろうから、それくらいまで増やすべきなのだ。

安倍政権の頃から続く最低賃金引き上げの政策は、会社経営の問題ではなく、経済政策の問題である、という認識を持つことが重要だ。
経済政策であるという認識が、今の日本の経営者にはない。
なぜならば、労働者の収入を増やすことで、労働生産性を高めて、最終的には生産性を高めるべきだからだ。

【3】アトキンソン氏のもう一つの主張は、日本経済が低成長である真因は中小企業が多すぎる点だ。
これが日本病の正体だ、と言う。

実際、中小企業白書を見れば分かるが、企業数の99%、労働者の70%は中小企業に属する。
だから、今までの日本政府は、中小企業を弱者とみなし、数多くの補助金、税制上の優遇政策などを実施してきた。
しかし、その効果があまり出ていないどころから、足を引っ張っている。

【4】中小企業が多いと、経済にどんな悪影響があるのか?

たとえば、会社規模が小さく、財務基盤が弱いので、設備投資しにくい。
工場の新たな機械に投資しないから、生産性は上がらない。
社員教育に投資しないから、社員の能力は伸びないし、社員の給料も上がらない。
ITシステム投資をしないから、消費税の納税、インボイス制度、電子帳簿制度に反対する。
特に、中小企業がIT投資しにくい点は、今後大きな問題になるだろう。

中小企業は会社規模が小さいので、輸出しにくい。
なぜならば、輸出するには一定の資金、ある程度の設備、ある程度大人数の能力ある社員が必要なのに、会社規模が小さく、社員数が少ないので対応できないからだ。
輸出できなければ、外貨が稼げないので、GDPに貢献できない。
特に、2022年度現在、記録的な円安なのだから、もっと輸出していくべきなのに、輸出できる基盤を持つ中小企業が少ないので、その機会を活かせていないのだろう。

【5】中小企業が多くなる原因は何なのか?

たとえば、中小企業は税制上の優遇が多い。
交際費は800万円まで経費とみなされるし、接待飲食費の50%は損金として認められる。
また、補助金の種類も多い。
コロナ禍では持続化給付金がよくあがった。

これらの税制の優遇、補助金の支援は、中小企業が規模を拡大していくインセンティブを失わせる。
本来は、最初は中小企業であっても、事業を拡大していけば、規模の経済を活用するように社員を増やし、設備投資して、どんどん会社を大きく成長していくべきなのだ。
しかし、中小企業という小さい規模の方が、今の日本ではあまりにもメリットが大きすぎるために、あえて中小企業になっているケースが多い。

最近よく聞かれるマイクロ法人は、税制上の優遇を使って経費削減するためのノウハウとして活用されている。
本来はそういう仕組ではないはずだ。

【マイクロ法人設立で節税】個人事業主と二刀流のメリット・違法性を解説

すると、企業数が多くなるので過当競争になりやすい。
つまり、低価格競争になりやすいく、労働者の賃金が抑えられて、労働者の年収も増えない。
むしろ、労働者を低賃金で長時間労働させるようなブラック企業をのさばらせることにつながる。

本来は、そういうブラック企業は市場から退出させるべきだ。
しかし、中小企業を破綻させないように延命させる制度を数多く用意しているために、労働者にとっても都合の悪いブラック企業が残り続けることになる。
だから、最低賃金を上げることで、その最低賃金も払えないような企業は市場から退出させるべきなのだ、というロジック。

今後の日本は少子高齢化で、人口も減っていくので、国内市場はどんどん小さくなっていく。
中小企業の数を減らさない政策を続けると、過当競争に陥りやすく、労働生産性を上げることもできない。
だから、中小企業をM&Aなどで統合していく政策が必要になるだろう。

実際、最近の中小企業が自主廃業するケースが増えているために、中小企業庁も、事業承継やM&Aを積極的に推進する政策を取っている。
また、事業承継士のような資格も出てきていて人気があるらしい。

事業承継センター|資格取得講座・無料ガイダンス

たぶん、今後20年くらいは、事業承継やM&Aの仕事が多くなるだろうと思う。

【6】アトキンソン氏のもう一つの政策は、観光政策を充実させることだった。
安倍政権のもとで観光政策を推進して、2019年には3千万人以上のインバウンド客を取り込んできた。
このおかげで、特に地方は外貨を稼げるようになったように思う。

観光政策を提唱したのはとても良い案だと思う。
よく知られているように、日本は四季の季節ごとに観光地がたくさんあり、神社仏閣も多く、食事も多彩で美味しいし、観光資源が充実しているからだ。
交通の便利さ、Wifiやトイレの設置、英語などの案内などの設備投資を行えば、観光客がSNSで勝手にマーケティングしてくれるので、相乗効果を得やすい。

コロナ禍で観光政策は下火になったが、2022年に記録的な円安になったから、海外から観光客を呼び込めば外貨を稼げるはず。
しかし、昭和の時代に重工業製品やハイテク製品の輸出で外貨を稼いできたのに、平成や令和の時代は観光政策でしか外貨を稼げないのは情けない気もするが。

【7】アトキンソン氏の意見で興味深いのは、日本人は真面目で頑固なのに突然変化するのはなぜなのか?という問題の原因分析。
たとえば、江戸末期の尊皇攘夷と開国の論争では、明治維新になると突然、文明開化に変わり、近代化を推し進めた。
たとえば、太平洋戦争で鬼畜米英と言っていたのに、戦争に負けたら、突然欧米と仲良くなり、高度経済成長を推し進めた。
なぜ、日本人はそれまで頑固に態度を変えないのに、急に態度を変えてしまうのか?

アトキンソン氏によれば、日本人は面倒くさいと思ったからでは、と言う。
つまり、今までのルールや価値観を変えるのは面倒なので、いくら正論を言われても、なかなか変えられない。
ちょうど、総論賛成各論反対の状況と同じ。

しかし、問題が大きくなって手に負えなくなる事態になると、いくら面倒くさいと思っても、状況を変えないと、どんどん状況が悪化して損をする。
つまり、実際に問題が手に負えない時点になると、急に方針転換して、まるで問題がなかったかのように、急激に物事が変わっていくように、どんどん政策が実行される。

戦前の日本人の気質はまだ成熟していない青年期と同じだった: プログラマの思索

一方、欧米人は原理原則、価値観を重視するので、主義主張がマキャベリストみたいに変わることはない。
だから、欧米人は対立が激化したら、戦争が起きやすいタイプなのだろう。

【8】アトキンソン氏の書籍を読むと、経済政策や財務にとても詳しく、統計データを元にロジカルに説明してくれるのでとても分かりやすいと思った。

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2022/08/23

地政学の考え方~近代以後の世界史はランドパワーとシーパワーの戦いである

地政学(GeoPolitics)について色々読みまくった結果、地政学―アメリカの世界戦略地図が一番わかりやすかった。
地政学の考え方とは「近代以後の世界史はランドパワーとシーパワーの戦いである」と腹に落ちた。
ラフな感想。

「大国政治の悲劇」の感想~現代はパワーポリティクスの歴史に戻ったみたいだ: プログラマの思索

映画「ひまわり」は名作だった: プログラマの思索

【1】地政学(GeoPolitics)の基本的な考え方とは何か?

【1-1】地政学は、世界地理と政治学が合体した学問なので、国同士の地理的環境が大きく依存する。
しかし、マッキンダーの原著「マッキンダーの地政学ーデモクラシーの理想と現実 | ハルフォード・ジョン マッキンダー」も読んでみたが、僕には読みにくかった。
地政学の考え方がよくわからなかった。
地理的環境がどのようにパワーポリティクスと関係するのか、イメージしにくかったから。

一方、地政学―アメリカの世界戦略地図では、マッキンダー、ハウスホーファーから現代の学者に至るまでの主張を時系列に整理してくれていて、彼らの世界観はこうなのだ、と一言で説明してくれているので、地政学の初心者にとって理解しやすかった。
特に、マッキンダーの世界観を表した地図を図示化してくれているのがとても助かった。

【1-2】地政学―アメリカの世界戦略地図によれば、マッキンダーの考え方では、世界地図を見て、ユーラシア大陸を本島、英国・北米・南米・豪州・日本はユーラシア大陸を囲む島々とみなす。
アフリカのサハラ砂漠をラクダで交通する海のようなものをみなせば、アフリカの南半分は島になる。

すると、本島(ユーラシア大陸)の勢力と、それを囲む島々の勢力が互いに戦うという考え方につながる。
ここから、本島=ユーラシア大陸=ランドパワー、英国・北米・南米・豪州・日本などの島々=シーパワーに分類される。

地政学―アメリカの世界戦略地図によれば、コロンブス以後の世界史はランドパワーとシーパワーの闘争の歴史になる。
特に、1870年以後の近代世界史では、鉄道網を持つランドパワーの国と艦隊を持つシーパワーの国の闘争の歴史とみなせる。
つまり、地政学では、交通網の手段によって地理的環境を区別しているように思える。
一方、近代以前の世界史では、強力な騎馬隊を持つ遊牧民族と豊かな穀物を持つが戦争に弱い農耕民族との闘争の歴史になる。

たとえば、19世紀後半は、不凍港を求めるロシア帝国(ランドパワー)を、最大の植民地を持つ英国(シーパワー)が世界各地で対立していた。
そして20世紀後半は、ソ連(ランドパワー)と米国(シーパワー)による冷戦の歴史が続く。

地政学―アメリカの世界戦略地図によれば、ランドパワーとシーパワーの対立は相性が悪く、長く続きやすいらしい。

【2】地政学の考え方から何が導かれるか?

地政学―アメリカの世界戦略地図を読むと、いくつかの主張が興味深かった。

【2-1】1つ目は、シーパワーとランドパワーが交錯する部分は紛争地域になりやすいこと。

たとえば、マッキンダーは、欧州大陸をユーラシア大陸から突き出たラテン半島とみなして、ラテン半島の付け根に当たる東欧を制するものが世界を制すると主張した。
この主張を考慮して、現在のウクライナ紛争を眺めると、NATO諸国とロシアの境目に当たるウクライナが紛争地域に該当することになる。

また、朝鮮半島も同様。
ロシア、中国のランドパワーの支援を受けた北朝鮮と、米国、日本のシーパワーの支援を受けた韓国が対立している。

あるいは、パレスチナ地域のように、トルコやイラン、ロシアなどのランドパワーの国々と、湾岸諸国やイスラエルなどのシーパワーの国々が交錯する地域は、紛争地域に該当することになる。

【2-1】2つ目は、シーパワーの大国である米国が冷戦時代にソ連と対決した政策には、封じ込め政策(Containment)があるが、この考え方の背後には、リムランドを制するものが世界を制するという考え方があること。

地政学―アメリカの世界戦略地図によれば、リムランドとは、シーパワーとランドパワーが交錯する地域を指す。
一般に、「危機の弧」(arc of crisis)、「不安定の弧」のことを指す。
具体的には、ユーラシア大陸の縁に当たる朝鮮半島から東南アジア、インド半島、イラン、トルコ、バルカン半島、ウクライナに当たる地域を指す。

不安定の弧 - Wikipedia

つまり、米国は危機の孤であるリムランドは軍事的衝突が起きやすい地域とみなし、それに対する戦略を練っていることになっている。

【3】地政学の観点では、日本はどのような立ち位置にあるのか?

明治維新から第二次世界大戦の敗戦に至るまでの日本の近代史は、地政学の観点から見れば、その政治的意志が非常に理解しやすいと思う。

【3-1】なぜ、明治維新の立役者たちは、あれほど朝鮮半島の進出にこだわっていたのか?

大国政治の悲劇 | ジョン・J・ミアシャイマー, 奥山 真司によれば、明治時代に日本の陸軍を支援したドイツ将校は「朝鮮半島は日本の心臓を突き出す短剣である」と言ったらしいが、そのような考え方にその頃の日本人は取り憑かれていたわけだ。
実際、山県有朋は朝鮮半島を利益線とみなし、主権線だけでなく利益線も保護するために軍備拡張が必要と主張したわけだ。

61.日清戦争

たぶん、西欧列強がどんどん植民地を拡大しつつある時代において、近代の日本人は悪戦苦闘していたのだろう。
地政学の観点から見ると、近代の日本の歴史は、シーパワーである日本列島から、ランドパワーの朝鮮半島、満州、中国大陸へ進出していく流れに該当し、その力学から逃れられなかったことになるだろう。

【3-2】なぜ、日本は満州にあれほどこだわったのか?

昭和史 1926-1945 (平凡社ライブラリー) | 半藤 一利によれば、15年に渡る日本の戦争の背後には「赤い満州がある」と言っていた。
満州には農産物や鉄、石炭などの主要な資源があり、日本の近代化に欠かせないものだったから。
一方、地政学の観点から眺めると、満州が朝鮮半島の付け根であり中国大陸と朝鮮半島の境目に当たり、マッキンダーの主張「半島の付け根に当たる地域を制するものが世界を制する」と合致するからだ。
満州が安定しなければ、朝鮮半島も安定しないし、その余波で日本も安定しない、という理屈を当時の日本人は持っていたのだろう。

【3-3】なぜ、日本は負けると分かっていた太平洋戦争に突入してしまったのか?

地政学―アメリカの世界戦略地図によれば、日華事変でランドパワーの中国まで手を伸ばし、東南アジアや太平洋島嶼部などのシーパワーまで進出しようとして、シーパワーの米国と対立したから、ということになる。
大国政治の悲劇 | ジョン・J・ミアシャイマー, 奥山 真司を読むと、近代の日本が気にかけていたのは安全保障であったが、当初は日本近海に過ぎなかった領土的野心が東アジアや東南アジア全体まで波及して独裁的に侵略していった流れに逆らえなかった、という理屈になっている。

【3-4】現代の日本は地政学の観点ではどのような立ち位置を取るべきか?

パワーポリティクスや地政学の中で日本の立ち位置を見ると、英国が欧州大陸から離れてシーパワーの大国として、大陸諸国間の勢力均衡政策に従事したように、日本もアジア大陸から離れてシーパワーの国として、勢力均衡政策を取るのが望ましいのではないか。

そのような地政学の観点で眺めると、安倍首相が、日米豪印の協力枠組み「クアッド」を創設し、太平洋とインド洋に渡るシーレーンの重要性を主張した点は、先を見通した良い戦略と思う。
具体的には、日米豪印のクアッド(シーパワー)は、中国(ランドパワー)の一帯一路構想に対抗する、地政学上の戦略に対応付けられるだろう。
つまり、ランドパワーの中国に対抗して、シーパワーの日本、米国、豪州とリムランドのインドが連携して対抗するという勢力均衡政策を実現できたからだ。

また、「自由で開かれたインド太平洋戦略 - Wikipedia」という標語のおかげで、クアッドの正当性の根拠に、専制国家と民主主義国家という軸の違いという考え方を裏付けることができたわけだ。

安倍元首相が主導した日本の大戦略を、国際政治の理論から再評価する ? SAKISIRU(サキシル)

中国の覇権を止められる政治家はほかにいない…安倍元首相の死で、インドは国を挙げて一日中喪に服した 日本は「インド太平洋とクアッドの父」を失った | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

米豪印首脳が安倍氏評価 「クアッド創設に尽力」 - 産経ニュース

そんなことを考えると、地政学の考え方は、20世紀までの世界史だけでなく、今後の国際政治にも使える考え方なんだなと思う。

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2022/07/31

製造業の業務にスクラムを適用できるのかという疑問~全てのビジネスモデルにスクラムを適用できるのか?

先日、認定スクラムプロダクトオーナー研修を受けてきた。
その中で最も興味を持ち、そして今も半信半疑で理解できていない話は、「テスラの生産は全てスクラムでやっています」というお話。
ジョー先生から、下記のYoutubeを教えてもらったので見た。
以下、理解できていない初心者のラフなメモ。

【参考】
[日本語と英語] Keynote アジャイルコーチが学んだ「Tesla 真の凄さ」?あなたが学んできたアジャイルとTeslaは何が違うのか? ジョー・ジャスティス - YouTube

認定スクラムプロダクトオーナー研修の感想: プログラマの思索

【日本語訳】A day of Mob Programming Subtitles by Joe Justice [No Audio] - YouTube

なぜ米国企業は90年代に蘇ったのか~日本の手の内は完全に読み取られた~V字回復の経営の感想: プログラマの思索

【1】ジョー先生の認定スクラムプロダクトオーナー研修に出た時に一番興味があり、そして今も完全に理解できていない点は、ジョー先生が話されていたのは、テスラはスクラムで電気自動車を製造しています、という話。

先生曰く、テスラでは調達・計画・製造・品質部門は全てスクラムチームで活動し、すべて生産している。
たとえば、材料や部品を購買するチーム、車体を作るチーム、ブレーキを作るチーム、電池を作るチーム、自動運転ソフトウェアを作るチーム、販売するチームなどがある。
それらスクラムチームをサポートするために、カスタマーサポートのチーム、経理チームなどがあり、他にも、各チームにコーヒーを提供するコーヒーサポートチームもあるらしい。

ジョー先生に、生産計画はどうなっているのか?と聞いたら、そんなものはない。
スクラムチームは生物の細胞(セル)のように自己組織化されているから、と。
各チームはそれぞれの部品を作る責務があり、各チームは他チームに必要な部品や素材を要求するために、各チームのプロダクトオーナーが集まってメタスクラムの中で調整する。
下流工程のスクラムチームから上流工程のスクラムチームへ部品や素材を要求して製造されるので、プル生産になっているので問題ない、と。

他にも色々聞きたかったが、僕が疑問点を言語化できていなかったので、それ以上は質問できなかった。

【2】電気自動車がモジュール化できるだろうと推測できても、本当かなと思うが、たぶん僕が分かっていないだけかなとも思う。
でも、この仕組みで本当に高品質に大量生産できるのか、は別問題と思う。

高品質な規格品を大量生産できる仕組みをどうやってアジャイルに構築して、大量生産できるのか?
単純に考えると、普通の大規模製造業では、相当大規模な資金を使って、工場に設備投資して、生産ラインを作って、部溜まりが安定するくらいに生産ラインの設備機械の稼働率も製造メンバーによる生産プロセスも安定させる必要があるが、それをスクラムで実装できるのか?

一方、ソフトウェア開発は結局、人依存であり、メンバーのスキルや能力に品質が比例するし、技術の習熟度合いも比例する。
ソフトウェア開発には設備は殆どいらない。
ソフトウェア企業での規模の経済は所詮、開発者という人員と拠点となる作業場くらいなので、簡単にスケールできる。
しかし、ハードウェア製品の規格品を作る場合、人だけでなく、膨大かつ大量資金の設備が必要であり、それをすり合わせるのが難しいはず。
テスラが自動運転などのソフトウェア技術が優れているのは理解するが、ハードとして本当に実現できているのか?

【3】製造業の業務にスクラムを本当に適用できるのか?
僕の疑問はこれに尽きる。
この疑問を自分なりに分解してみる。

1つ目は、ジョー先生の話を聞くと、製造業のバリューチェーンにある各機能、つまり機能別組織をそのままスクラムチームに単純にマッピングしただけに思える。
一般に普通のメーカーであれば、仕入→計画→製造→販売という主活動のバリューチェーンがあり、購買部、生産計画部、製造部、販売部のような機能別組織で構成されている。
また、総務・経理・人事・企画などの支援活動のバリューチェーンもあり、総務部、経理部、人事部、企画部という機能別組織が構成されている。
ジョー先生の話を聞くと、機能別組織をスクラムチームに編成するだけで、各チームは自己組織化されるように聞こえるが、それら組織は会社として全体最適化されるのか?

たぶん、普通の会社の機能別組織をそのままスクラムチームにマッピングしても、有機的な触媒が簡単に起きるとは思えず、おそらく何らかの前提条件が数多くあるのではないか、と思う。

2つ目は、製造業の生産ラインで重要な点は、生産プロセスを標準化生産に当てはめて安定化させることだが、スクラムを適用してもそれを実現できるのか?
一般に、トヨタ生産方式でもっとも重要なポイントは、需要の変動をなくして、在庫があまり増減せず一定の範囲に落ち着くように、また、設備の稼働率が大きく変動することなく、設備機械が高い稼働率で安定して動かすために、生産量を標準化するように生産計画を立てる。
そういう生産計画なしで、単に、機能別組織を置き換えたスクラムチームだけで、安定的に生産できるのか?

普通に考えると、各機能の組織は個別最適化するように動いてしまって、ボトルネック工程に数多くの在庫を作り出してしまう罠が発生しがちだ。
なぜなら、生産部門の中で、部品加工を行う部署は、高額な設備機械を持ち、部品加工を効率良く行うための手順を持つので、自分たちの生産性を最大限に上げるように動きがちだから。
スクラムチームは生産プロセスを全体最適化するように自然にバランスを取ってくれる保証はあるのか?
もしそれが実現するならば、どんな原理によって実現されるのか?

おそらく、製造業の業務というビジネスモデルの中でも最も複雑な問題をスクラムで解決できるならば、それなりに何らかのノウハウがあるのではないか、と思う。

【4】とは言え、テスラは自動車業界で最も注目されていて、2022年現在の時価総額がNo.1である。
ジョー先生は、テスラの時価総額は、トヨタなどの日本メーカー、アメリカのビッグスリー、ドイツやフランスや韓国のメーカーの時価総額の合計に等しいくらい大きいです、と言っていた。

注目されている理由は、いくつかあるだろう。
以下は自分の推測。

1つ目は、電気自動車という「移動能力を持ったスマホ」という製品がビジネスとして大きなインパクトと可能性があることだ。
電気自動車というハードウェアを一度所有すれば、自動運転ソフトウェアやユーザインターフェイスがスマホみたいに定期的にバージョンアップされるので、いつでも最新の機能を維持できる。
つまり、従来のメーカーによる製品売り切りではなく、バージョンアップされるソフトウェアのサブスクリプションで売上を確保するようになる。
どこかの話では、アップルやテスラの粗利益率が30%以上もあると聞いていて、その理由は、こういうソフトウェアのバージョンアップというオプション、つまり付加価値がとても大きいからだ、という話を聞いた。
つまり、ビジネスモデルとしては従来の自動車メーカーよりもはるかに財務体質は良いことになる。

テスラが従来の自動車メーカーと異なるところ - Togetter

テスラが従来の自動車メーカーと異なるところは工場までソフトウェア化すること: プログラマの思索

2つ目は、他の自動車メーカーにも大きな影響を与えているように見えることだ。
たとえば、ドイツのフォルクスワーゲンは、自動車のソフトウェア化では、テスラよりも劣っているが、日本のメーカーよりも遥かに先に進んでいると聞いたことがある。
その理由は推測だが、フォルクスワーゲンなどのドイツ自動車メーカーはディーゼルエンジンの不正により大打撃を受けたので、従来のガソリンエンジンは捨てるしかなく、電気自動車に賭けるしかなかった、ということではないか。

また、テスラがベルリンに製造工場を作った事件もドイツ自動車メーカーに影響を与えているのではないか。
なぜなら、ドイツ自動車メーカーの工場の生産性よりもテスラの製造工場の生産性の方が圧倒的に大きかった、と聞いている。
すると、テスラを見習って、単に電気自動車を製造するだけではなく、電気自動車の付加価値を高めるソフトウェア基盤の開発が重要なはずだ、と考えて、その方向に一気にカジを切ったのではないか?

【5】そんなことを考えると、他業界のビジネスモデルにもスクラムを適用できるのではないか?と思える。

製造業という数多のビジネスモデルの中でも最も複雑な業務にスクラムを適用できるならば、小売、卸、サービス業、官公庁の業務にも適用できるはずだ。
単純に連想すると、経営コンサルタント業務のように、高度な専門知識を持った人が集まって、少人数のチームを形成してアウトプットを出す業務には、スクラムはすぐに適用できるはずだ。
なぜなら、ソフトウェア開発チームの特徴にコンサル業務がとてもよく似ているからだ。
設備はほとんど不要で、必要なものは、各メンバーに高度な専門性を持つ技術があるかにかかっているからだ。
つまり、コンサル業務のチームにスクラムをそのまま適用すれば、今の大規模スクラムのノウハウをそのまま適用するだけで、コンサルビジネスもスケールできるはずだろう。

製造業でスクラムを適用できるならば、小売スーパーや飲食店、理髪店やネイル店、旅館などの中小企業が多いサービス業の業務にも簡単にスクラムを適用できるはずだ。
特に労働集約的な業務には、スクラムチームで編成し直して、メンバーの生産性を高めるように持っていけるのではないか。
スクラムチームはプロダクトオーナー、スクラムマスター、チームメンバーの3つの役割だけから構成されていて、少人数なチームで構成されるので、それらのサービス業のメンバーにも適用できるのではないか。

この辺りも単純なアイデアに過ぎないけれど、たぶん既に他の人達がやっているに違いないと思う。
色々事例を探してみたいと思う。

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2022/06/14

戦前の日本人の気質はまだ成熟していない青年期と同じだった

【1】「日本人の行動パターン」に書かれた一節が一番心に残った。
アメリカ人は戦前の日本人をこういうふうに分析していたんだな。

日本人は青年期の未熟さの性質を持つ。
ころころ変化する態度、人に応じて異なる感情表現、幻想に陥る現象はパーソナリティ形成が成熟していないことを表す。
社会構造が変化すると、それに対応して素早く変わる日本人は、青年期の発達段階に特有のもの。
日本人の集団はノイローゼにかかっている。集団的神経症、強迫観念に囚われている。

【2】僕が学生の頃は、日本文化論がすごく流行っていた気がする。
日本が経済大国と呼ばれていた時、なぜ日本は小さな島国にすぎないのに、そこまで成長できたのか?
それに答えるために、数多くの論説があった。
割と多かったのは、日本特殊論。
日本人は特殊な気質を持つ、特殊な文化を持つ、という論説が多かった気がする。

確か、E.H.ノーマンの本だったか、ある一節があった。
戦前の日本人の言動を見ると、ある時は激しやすいが、別の時は穏やか。
ある時は頑固なのに、別の時は一瞬にして豹変して環境に順応する。

その原因は、日本人が置かれた社会や政治構造に由来するのでは、という指摘だった。
一言で言えば、日本社会は階級制度であり、日本人はその社会順序を乱さないように、あらゆるところから統制を受けている、と。

日本人の行動パターン」の一節を読むと、それにぴったりな気がした。
明治から昭和にかけて、日本人が急激に近代化できた理由は、たぶん日本人は未成熟な青年期の人間が多かったのだろう。

そして、2022年の現代日本は平均年齢が49歳なので中高年世代が最も多いから、青年期ではなく老年期に入っているのでは、と思ったりする。

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2022/06/05

「大人の学びパターン・ランゲージ」の感想~知識と経験を行ったり来たりするタイミングを大切にする

「大人の学びパターン・ランゲージ」はリスキリングの参考になると思った。
IPAの同じWebページにある「学び続けている実践者の方からお話を伺いました。」というインタビュー記事もとても良い。
読んでみて、自分の中で色々考えるものがあった。
ラフなメモ。
間違っていたら後で直す。

【参考】
大人の学びパターン・ランゲージ(略称まなパタ):IPA 独立行政法人 情報処理推進機構

変革への道:IPA 独立行政法人 情報処理推進機構

知識は経験よりも大切か、経験は知識よりも勝るのか、SECIモデルは相互作用を語る: プログラマの思索

実践した後に勉強するのがエンジニアの本来の道: プログラマの思索

【1】社会人になって「学ぶ」とはどんな意義や問題点があるのだろうか?

日本人なら大学へ入る18歳までは受験勉強という公式な体制の元で勉強させられる。
学びとは何なのか?という基本的な問いを考える作業は、この期間は無意味だ。
むしろ、希望大学に入学することが自己目的化している人ほど、受験競争の勝者になる。

一方、社会人になると、急激に能力を伸ばす人と、停滞する人の2種類に差別化される。
案件に揉まれて技術やマネジメントの経験を身に着けて、どんどん昇格して、社会的地位が上る人もいれば、職を転々としながらも何も変わらない人もいるし、同じ企業の中でずっと何も変わらずに仕事している人もいる。
人はそれぞれの目的を持って生きているように仕向けられる。

そういう状況の中で、現代という時代では、20代で身につけた知識や技術がすぐに陳腐化するリスクに常につきまとまれている。
特に、IT技術を身に着けても、それは10年後には当たり前になり、差別化できる要因ではなくなる。

すると、30代、40代、50代と年齢を経るごとに、自分が活躍できるステージをどんどん変えていく必要性が出てくる。
単純な専門的知識で差別化するよりも、チームや組織、企業を回すようなマネジメント、経営への領域へ移す人達も多い。
人との関わりという部分で差別化しようとする。

しかし、20年経てば1世代変わるので、人も社会も価値観が変わり、人間関係をコントロールするマネジメントスタイルも急激に変わる。
昨今では、米国でのマネジメントの最新知識、たとえば、心理的安全性、ファシリテーション、ティール組織、などいろいろな手法を身に着けなければ、今の社会で自分の存在意義を見つけるのは難しいのではないか。

【2】ビジネスで結果を出そうとする時、知識と経験の2つの両輪が必要になる。

自分の数少ない経験では、知識を経験に変わるタイミング、経験が知識に変わるタイミングを自分なりにつかんでおくことが重要と思う。
なぜならば、知識だけ脳みそにたくさんあっても使いこなせなければ現場では無意味だからだ。
経験をいくら積んでも、その経験を自分なりに解釈して抽象化した知識に変換して、他人に説明できなければ、現場では無意味だからだ。

知識を実際の現場で使おうとする時、他人から教わった知識、本から得た知識は、自分の現場の問題が発生する環境とギャップがある。
環境がもたらす制約条件を考慮しながら、問題を解決する方向へ知識を利用する。
その知識が問題をうまく解決するときに使えたタイミングで、その知識の有効性とその知識が使える範囲を自分なりに理解できる。
この時が知識が経験に落とし込めたタイミングだ。
このタイミングはすごく重要で、そのタイミングを意識しなければ、何事もなく通過してしまって、自分の腹に落とし込めたものにならない。
その知識には、自分にとって再現性がなくなるからだ。

一方、色んな経験をして来た後で、本を読んで気づいたり、コミュニティや大学で色んな人と議論して気づいたりするタイミングがある。
たとえば、初めての案件で初めての役職で仕事して試行錯誤したり、デスマーチ案件で日々苦しめられたり、ルーチンワークに追われて何も考えないまま過ごしたりした後で、なぜこんな状況を自分で解決できないのか、という疑問や問題意識を強烈に持つ。
自分の能力の限界を知り、自分で環境を変える要因をつかみたいと思う。
そんなときに、本や動画、ネット、他人との会話という数多くのチャネルを通して、知識やフレーズに触れたときに、ぴーんと来る時がある。
この時の知識が、経験から知識を抽出して、自分なりに理解できたタイミングだ。
このタイミングは重要で、自分でそのタイミングを意識しなければ、経験は単なる時間的浪費にすぎない。
いくら年齢を取ったとしても、同じ時間という量は質が大きく異なる。

知識と経験を行ったり来たりするタイミングを自分なりに意識して習得することが必要であると最近感じている。

【3】知識と経験を行ったり来たりするタイミングやその活動は、たぶんSECIモデルで表現されるだろうと思う。

知識を経験に変えるタイミングは、形式知から暗黙知に変換する活動に一致し、それは「内面化」に相当すると思う。
経験を知識に変えるタイミングは、暗黙知から形式知へ変換する活動に一致し、それは「表出化」に相当すると思う

つまり、内面化や表出化のタイミングを自分なりにいつも意識して、その瞬間を忘れないようにすること。
そうすれば、以前の自分からなにか一つ殻を破れた、という感覚が得られると思う。

そのためには、表面的な知識を色々自分なりに考えて、どういう問題ならうまく適用できるのか、どんな制約条件を考慮すべきか、実はあまり効果がないのでは、と試行錯誤して考える必要がある。
その作業は、形式知同士を組み合わせて新たな形式知を得る「連結化」という作業が必要になるのではないか。

また、案件でたくさんの経験を得たとしても、その経験から何が問題だったのか、何が足りなかったのか、どんな環境要因があったのか、試行錯誤して考える必要がある。
その作業は、暗黙知の内容を整理して暗黙知のレベルを高める「共同化」という作業が必要になるのではないか。

【4】知識と経験を行ったり来たりする作業は意識的にやる必要があると思う。
特にビジネスマンになれば、いろんな場面で初めての問題に遭遇し、常に問題解決や再発防止を迫られる。
そんな状況で何らかの成果を出すには、常に知識と経験を行ったり来たりする技術を持つ必要があると思う。

以前「実践した後に勉強するのがエンジニアの本来の道」というツイートを読んで、ソフトウェア開発はまず実践して経験した後で知識を習得するのが一番の近道、という内容を思い出した。
実践した後に勉強するのがエンジニアの本来の道: プログラマの思索

また、ビジネス経験を積んだ後でMBAを取得する話をよく聞くが、たぶん、一度経験した内容を知識として再構築する必要性を感じているのだろうと思う。
「あるMBAコースの人(元銀行員で支店次長)が僕にこう言っていた。MBAっていうのは、サラリーマンが20年間で覚えることを圧縮して教えるものだと。マネジメントのエッセンスを短期的に学ぶことで管理職、役員レベルの視点を持つことを目的にするということなのかもしれない。」という内容は心に残った。

企業経営アドバイザー - hmiyau ページ!

MBA | 猫好きのブログ

まなパタにはそのヒントが隠れているような気がする。

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2022/06/04

経済学や心理学の実験で得られた理論は再現性があるのか?~内的妥当性と外的妥当性の問題点がある

経済セミナー2022年6・7月号 通巻726号【特集】経済学と再現性問題 | 日本評論社 を読んで、経済学や心理学の実験で得られた理論は再現性があるのか?という特集号が面白かった。
再現性の根本問題は、内的妥当性と外的妥当性の問題点があると思う。

経済学が理解できるようになってから、図書館から経済セミナーを借りて読む時が増えたけど、政治や経済、社会のニュースと直結しているので面白い。

ラフなメモ書き。

【1】Twitterのごく一部で話題になっていた「再現性問題」が経済セミナーの最新号に掲載されていたので斜め読みした。
「再現性問題」とは、心理学や行動経済学ですでに知られていた実験結果や通説が実は再現性がほとんどないぞ、という指摘。
プロスペクト理論の損失回避性、ナッジ政策も実は再現性がないと言う。
ナッジ政策が再現されないとなると、ナッジ政策を推進する政府の公共政策には意味がない、税金の無駄遣いということだから影響は大きい。

【2】再現性の根本問題には、内的妥当性と外的妥当性の2つの観点がある。

僕の理解では、内的妥当性とは、母集団の中のサンプルをランダムに採取したときに、どのサンプルも同じ傾向の統計データが取れて、同じ結論が出ること。
自然科学の実験であれば、これは当たり前。
しかし、心理学や経済学では、母集団の中のサンプルでは、個人の属性のばらつきが大きいので、同質な属性を持つ集団を抽出する方法が難しい。
心理学ならば個人にバイアスがかかってしまって、そもそも客観的なテストができているか疑問がある。
何度も同じようなテストをすれば、個人も学習してしまって、過去と違う結果を返すかもしれない。

一方、外的妥当性とは、ある母集団で得られた統計データの傾向や結果が、他の母集団にも適用して、同じような統計データや結果が得られること。
自然科学の実験であれば、米国であろうが日本であろうが場所に関係しないし、現代でも100年前でも同じ結果が出る。
しかし、心理学や経済学では、欧米と日本では文化や価値観が異なる部分は多いし、100年前の人間集団と現代の人間集団では価値観も行動も全く異なるから、同じ統計データが得られるとは限らない。

つまり、内的妥当性は同じ母集団の中で採取したサンプルが同質であるか、外的妥当性は異なる母集団にも同質性を適用できるか、という問題点だと思う。

【3】「内的妥当性の再現性問題」の問題点は、仮説統計検定のp値に関する論点だろう。
p値が5%の基準で、仮説を棄却したり、棄却できないと判断する場合、4.9%と5.1%ではどんな違いがあるのか?
5%前後の僅かな差が、統計的有意であるかどうか決めるのであれば、その基準はそもそも妥当なのか?
pハッキングという話につながるらしい。

この仮説統計検定が使えなくなると、心理学の実験がすごくやりにくくなるだろう。
心理学で主張した意見の根拠をどこに求めればよいのか、大きな論点になるだろう。

【4】「外的妥当性の再現性問題」の問題点は、たとえば、欧米では大量データで実験して正しいと得られた通説が、日本では通用しないのでは、という点だろう。

経済学であれ他の学問でも、欧米で得られた統計データがすごく多い。
そこで得られた知見は、欧米人という母集団で得られた統計データに過ぎず、日本人という母集団に適用して、その真理が通用するのか?
この外的妥当性が通用しないとなると、経済学の理論は使い物にならなくなる。
経済学は規範的学問であるから、こういうエビデンスがあるから時の政府はこういう経済政策を打ち出すべきだ、という指針を提供できなければ、学問としての意義がないだろう。

経済セミナー2022年6・7月号 通巻726号【特集】経済学と再現性問題 | 日本評論社 を読むと、他の母集団に適用すると再現できなかったら、再現できない原因を探る方がより生産的な議論になる、という話があって、なるほどという気付きがあった。
再現できない差異要因が見つかれば、その要因をさらに分析することで、経済学の理論を補強することもできるだろう。

【5】内的妥当性、外的妥当性の話は、「データ分析の力 因果関係に迫る思考法」にも紹介されていたが理解できていなかった。
経済セミナー2022年6・7月号 通巻726号【特集】経済学と再現性問題 | 日本評論社 を読んで、やっと言わんとすることが理解できた気がする。

データ分析の課題はどこにあるのか: プログラマの思索

データ分析の面白さはどこにあるのか: プログラマの思索

【6】こういう話を読むと、人文・社会科学の真理を追求するために、客観的な妥当性を説明できる理論的根拠をいかに作り出すか、が論点なのだろうと思う。
自然科学と違って、心理学や経済学などの人間や社会に関する学問は、学問として成り立つ正当性を説明しようと努力して四苦八苦しているんだな、といつも思う。

そして、過去の優れた哲学者は、その正当性に関する議論を自分たちの脳内だけで色々試行錯誤してきたが、現代ではITやプログラミングという技術があり、それを使えば相当の内容を深く議論できるようになった点が大きく異なる。
過去の優れた哲学者の活動そのものを我々は検証できる道具を持っている点がすごく重要だと思う。

以前も、そんなことを考えていた。

計量経済学における統計上の根本問題: プログラマの思索

Rによる計量経済学/計量政治学を読んでいる: プログラマの思索

経済セミナーが面白いと思う理由は、最新のIT技術を使うことで色んな実験ができることだろう。
ITと統計学が融合している学際的な場所になっている。
プログラミングさえできれば、統計学の理論、経済学の理論は、実際に動かしながら後から理解すればいいと思う。

機械学習で反実仮想や自然実験が作れる: プログラマの思索

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2022/05/08

中国人の価値観の考え方

5月連休で読んだ本のうち、中国人の価値観に関する本が良かったのでメモ。
ラフなメモ。

中国では、外界と隔離された超監視社会という「異形の未来社会」が気づかぬうちに進行している[橘玲の日々刻々] | 橘玲×ZAi ONLINE海外投資の歩き方 | ザイオンライン

日本人と中国人は、顔や体型も似ているし、漢字という似た言葉を使っているのに、お互いの価値観は全く違う。
欧米人から見れば、同じ黄色人種だし、同じ漢字を使っているのに、なぜあんなに相互理解できないのか、と思われるだろう。
日本人でさえ中国人の言動や行動が理解できているとはいえない。

上記の本を読んで理解したことは、中国人と日本人の価値観の違いは、中国人の置かれている環境は日本人とは異なるからだ、という一点に尽きると思う。
環境の違いとは、結局、人口が多すぎることだ。

政府や公共機関の管理できる範囲以上に、大人口の集落が多すぎるために、政府が下々の国民を個人レベルまで管理できないから、法治主義が浸透せず、人々の自治に任せている。
したがって、私的自治の原則により、人々は血縁関係を元に政治的秩序を作り出し、人治主義になっている。

また、中国はその国土の広さに比べて人口が多すぎるために、競争が激しくなり、対人関係に人一倍気を使う必要がある。
すると、中国では、朋友関係という人間関係を元に親密な人間関係だけの人間集団を作り出し、その人間集団の中で生きるという仕組みを古来からずっと続けている。
その仕組みは、一昔前の日本のヤクザのような関係に近い、と言ってはいけない中国の真実(新潮文庫)では言う。
実際、一昔前の中国で人気のあった日本人男優は高倉健だったという理由は、そういう雰囲気の中で最も親しく感じる面があったから、と言う。

中国人の人口が多すぎるという環境がいかに我々の想像から外れている点については、たとえば、言ってはいけない中国の真実(新潮文庫)世界史とつなげて学ぶ 中国全史近代中国史 (ちくま新書)では、中国と日本における集落と人口の関係図がすべての本で図表で表示されている。
下記に画像がある。

江戸川の畔(ほとり):「近代中国史」岡本隆司著 - livedoor Blog(ブログ)

中国と日本における集落と人口の関係図では、日本では、政府>都道府県>市町村>聚落まで、鋭角三角形になっているので、政府が個人レベルまで管理統制できる範囲内にある。
実際、江戸時代の幕藩体制は集約封建制と言われていたが、封建制度を元にしながら、土地と農民を個人レベルまで管理統制できていた。
その分、権力が個人レベルまで統制しているわけで、日本人は集団主義だ、日本人は組織に従順だ、という事実が、その歴史が現代日本まで続いている。

一方、中国では、政府>省までの三角形と、都市>聚落の台形では構造がいびつに分かれている。
この台形構造が意味することは、中国政府が個人レベルまで管理統制できていない事実を示している。
あまりにも人口が多すぎて、大都市が多すぎるがゆえに、組織の4原則で言われる「管理の統制範囲」「スパン・オブ・コントロール」が取れていないことを示しているのだろう。

すると、政府や公共機関が本来やるべき法治制度が国民全てに行き渡らず、住民同士に任せているために、私的集団が法治制度から外れて、権力の強い者に弱い人達が従ったり、そうならないように人々が集団で団結して集団の自治制度を設けるという方向にゆくのだろう。

結局、日本と中国の環境要因の差がお互いの気質や価値観の違いを生み出し、現在に至るまでお互いに根本から理解し合えない原因を生み出しているのだろう。

中国の国土を見ると、黄河や揚子江のような大河が東西に流れて、温暖な気候に恵まれて、大量の人口を養える肥沃な土地であるために、逆に人口が多すぎて競争が激しく、政府が管理統制できない社会的環境がつい現在まで続いていたのだろう、と思う。

こういう観点から中国史を改めて読み直すと、歴史上の史実は実は単純に理解できるのかもしれない。

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2022/04/26

知識は経験よりも大切か、経験は知識よりも勝るのか、SECIモデルは相互作用を語る

SECIモデルの状態遷移図を描いて、ようやくSECIモデルを理解できた気がする。
ラフなメモ。

【1】2014年頃に、SECIモデルでパターン言語を理解しようと考えていた。
確かにパターン言語と相性は良いが、SECIモデルのイメージがまだピンときていない気がしていた。

SECIモデルは、PDCAみたいなマトリクスよりも、知識・経験の状態遷移図で描く方が理解しやすいと考えた。
形式知=知識、暗黙知=身体による経験。

【2】知識を使って身体に落とし込むのが内面化。
スポーツ、楽器、お絵描きなどの訓練が相当するだろう。

一方、身体で経験した内容を知識でまとめるのが表出化。
一流のスポーツマン、学者、音楽家、宗教家、哲学者たちは、自分たちの体験を何とか知識として言語化し、みんなに広めようとする。
走る哲学者と言われる為末大さんみたいな感じかな。

他方、形式知を組み合わせて新たな知識を創造するのが連結化。
感覚的に情報を受け取って暗黙知を高めるのが共同化。

【3】知識は経験よりも大切なのか?
経験は知識よりも勝るのか?

僕は両方を経験している。

IT技術者であれば、たくさんのプロジェクトで新技術や業務システム開発を経験した後で専門書を読み直すと、ああ、そういうことだったのか、と気づく時が多い。
中島聡さんは、プログラミングとは、座学で勉強するものではなく、実際にアプリ開発して体験した後で専門書で答え合わせするものだ、と言われていた。
そんな内容と似ている。

実践した後に勉強するのがエンジニアの本来の道: プログラマの思索

僕がRedmineにハマったきっかけも、XPやアジャイル開発の本はたくさん読んだが、何か腑に落ちることがなくて、Redmineでいろいろ試して初めて分かったという事があった。
知識がいくらあっても、やはり体験しなければ、本当に理解できた、という感覚がない。
肌感覚では分かった気にならなかった。

一方、IT企業やプロジェクトという組織形態では、いつもイライラするものがあって、その原因がなにか分からない時があった。
組織文化はトップが作るのか、ボトムアップで作られるのか、いつも疑問に思っていて、アジャイル開発の影響から、組織文化は現場からボトムアップで生まれるのだろうと思っていたが、診断士の先生に聞いたところ「組織文化を生み出す責任は社長にある。もっと社長が汗をかけ!」と言われて、ハッと気づいた時があった。

制度的リーダーシップの考え方が何となくしっくりきた: プログラマの思索

組織文化はトップが作るのか、ボトムアップで作られるのか: プログラマの思索

同様に、組織論、経営戦略論、経済学などを勉強してみて、メンバーに応じた教育方法ならSL状況理論やPM理論を使ってみたらいい、とか、プロマネとPMOの微妙な対立関係はエージェンシー問題に似ているな、とか、知識を使って、自分なりに理解が進んだ気がした。

管理職に求められる能力はPM理論そのものではなかったのか: プログラマの思索

ITの地殻変動はどこで起きているのか?~今後の課題はソフトウェア事業におけるエージェンシー問題を解決すること: プログラマの思索

また、RedmineでRubyのソースコードは適当に触っていたがRubyはちゃんと理解できてなかった。
RubySilverやRubyGoldを勉強してみて、Rubyはオブジェクト指向言語を徹底しているんだな、と改めて理解し直した。

Ruby技術者認定試験の感想: プログラマの思索

そんなことを考えると、知識と経験の相互作用として、SECIモデルの内面化、表出化を行ったり来たりしながら自然に実践している。
そして僕はたぶん、実際に色々体験して、失敗を繰り返さないと腑に落ちないみたいだ。
そういう感覚はSECIモデルの状態遷移図で整理できるんだな、と改めて感じた。

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2022/04/23

Rによる計量経済学/計量政治学を読んでいる

「Rによる計量経済学/計量政治学」という書籍があったので読んでいる。
Rによる計量経済学 第2版」「Rによる計量経済分析」「Rによる計量政治学」「Stataによる計量政治学」の本だ。
門外漢なのでラフなメモ。

【1】計量経済学という学問の存在は「統計学が最強の学問である」で知ったが、計量「政治」学という学問があるとは知らなかった。
でも考えてみれば、ITと統計学を駆使して、あらゆる人文科学を自然科学の基盤の上に打ち立てようとする方向性は納得できるし、そういう事が可能になった時代なので、ちょっと才能がある人が一攫千金を求めて大量流入しているのだろうと思う。

「計量経済学」「計量政治学」という学問で最も興味があるのは、これらの学問の根本問題は何なのか、これらの学問の前提となる武器について制約条件はあるのか、という点だ。


【2】「Rによる計量経済学 第2版」を読んで、計量経済学では、最小二乗法が自然科学のようにそのまま扱えない問題があり、その問題を解決するために色んな統計理論を編み出して、経済学を分析するツールを整備している、という印象を持っている。
その内容は以前書いた。

計量経済学における統計上の根本問題: プログラマの思索

データ分析の面白さはどこにあるのか: プログラマの思索

データ分析の課題はどこにあるのか: プログラマの思索

結局、母集団が正規分布になっているという直感を元に普通の理論は打ち立てるわけだが、現実はそうとは限らないので、色々苦労している、ということなのだろう。

様々な確率分布は正規分布のバリエーションに過ぎない: プログラマの思索

【3】「Rによる計量政治学」「Stataによる計量政治学」では、政治学を自然科学のような実証科学の基盤として打ち立てるために、計量政治学の正当性を書籍の冒頭に述べている。
この部分が非常に素晴らしいと思った。

政治学を含む社会科学では3つの問題がある。

【3-1】1つ目は実証的問題。
つまり、定量データを収集し「事実から真実を語らせる」。
「経済の発展は民主化を促進するか」「国民は民主党を指示しているか」など。
実証的問題では、価値判断を行わず、事実に語らせる。
だから「良いと思う」「悪いと思う」「すべきである」という感想を付け加えるときもあるが、そういう結果は出せない。

【3-2】2つ目は規範的問題。
いわゆる「べき論」。
研究者の価値判断に依存しており、規範哲学や政策議論で一般的に見られる。
「死刑は廃止すべきか」「民主主義は裁量の政治形態か」「中絶は認められるべきか」など。
価値判断というバイアスが入るために、客観性に疑問が残る。
しかし、規範的問題を実証的問題に変換することで、間接的に科学的証拠で根拠を示すことは可能らしい。

規範的問題を実証的問題に変換する仕組みはこんな感じだ。
1つは参照枠組み(frame of reference)を変える。
「今の日本は美しい国か?」という問題は規範的問題だが、「日本国民は、今の日本を美しい国と考えているか」という問題に置き換えれば、実証的問題として検証できる。
実際、世論調査を行えばいいだけの話だ。
つまり、問題のフレームを実証的問題に変換してしまえばいい。

もう1つは、規範的問題の背後にある前提条件に注目すること。
例えば「消費税を減らすべきだ」という規範的問題に対し、その背景にはいくつかの前提条件が隠れている。
つまり、「消費税を減らせば、経済を刺激して消費が伸びる」「消費が伸びれば雇用が増えて好景気になる」「好景気になれば税収が増える」という因果関係が隠れている。
これらの実証的問題に変換して、個人の価値判断なしにその真偽を検証すればいい。
つまり、「消費税を減らせば、経済を刺激して消費が伸びるのか?」「消費が伸びれば雇用が増えて好景気になるのか?」「好景気になれば税収が増えるのか?」という実証的問題に変換すればいい。

3つ目は分析的問題。
現実に起こっている事実よりも抽象度の高い命題の妥当性を検討する。
数学の証明問題に近い。

【4】「パズルを探す」というアイデアは、計量政治学だけでなく、一般の自然科学にも使えると思った。
「パズルを探す」とは、「常識的にはAなのに、Bになっている」という不思議な現象を指す。
たとえば、欧米の民主主義国では、地方選挙よりも国政選挙の投票率が高いのに、日本では逆になっている。
また、アジア各国の国家予算に占める軍事費率を時系列的に見ると、殆どの国では外圧要因によって割合が上下するのに、日本では1%以内にとどまり一定である。
それらはなぜなのか?
そういう研究が色々あるらしく、面白い。

【5】「Rによる計量政治学」「Stataによる計量政治学」では「理論と仮説」という説明がある。
内容は、実証分析を行うためにはきちんとしたリサーチデザイン(研究設計)が必要であるという主張だ。
リサーチデザインのプロセスはこんな感じ。

パズルを見つける。
パズルを説明するための複数の前提条件を使って理論を作る。
理論から作業仮説を作る。
作業仮説を検証するためのデータを集める。
データを使って作業仮説を検証し、理論の妥当性を確かめる。

理論とは「原因と結果についての一般的な記述」である。
理論を作るためには、前提条件、つまり、本当かどうか分からないがとりあえず本当と考えることをいくつか想定する必要がある。
つまり、理論とは、「複数の前提条件の束」である。
理論構築という作業は複数の「もし」という仮定、前提条件のもとに成り立つ。
だから、説得力のある前提条件を設定する能力が必要になってくる。

良い理論の条件は、4つある。
誤りの可能性があること。
観察可能な予測が多いこと。
具体的であること。
単純であること。
これらは下記のように言い換えられる。

理論はその誤りを指摘され、反証されながら修正されて頑健になること。
つまり、反証可能性が高い理論の方が良い。

観察可能な予測が多いほど、反証可能性は高い。
予測が具体的であるほど、観察可能な予測が多くなり、反証可能性が高くなる。
社会現象を単純な因果関係にまとめることで、反証可能性が高くなり、良い理論の条件を満たす。

科学的には理論と仮説に違いはない。
ほとんどの理論は、とりあえず受け入れられた仮説である。
作業仮説とは、理論を検証するために理論から引き出された、特定の変数に関する論述である。
「もしこの理論が正しければ~のはず」と記述される。
作業仮説は理論よりも具体的で、理論から引き出される観察可能な予測について述べている。

作業仮説を作る作業化とは、理論の中の変数を計量かつ観察可能なより具体的な変数に置き換えること。
作業化において大切なことは、理論で使われている説明変数と応答変数にできる限り近く、それぞれの概念を適切に測定知る変数を選ぶこと。

【6】上記の内容を読んで思うのは、政治学や経済学のような本来は規範的問題を解決する学問をいかに実証科学に近づけようと苦労しているなあ、と思う。
確か、以前読んだ哲学入門の本で、「規範的問題はザイン(存在)からザルレン(あるべき)は出て来ない、規範的問題はザルレンから出発すべきだ」という一節を読んだことがある。

いくら、実証データで規範的問題を解こうとしても、人文科学では、時代と地域に依存する真理しか見いだせないと思う。
そういう数多くの困難な状況の中で、何とか規範的問題を実証的問題に変換して、ITと統計学を駆使して実証科学ぽく真理を見出そうとしているのだろう、と思っている。

実際、統計処理によって因果関係を真理として見出す技術も直近30年くらいで出てきているようなので、そういう技術を使って、計量なんとかという学問をどんどん生み出しているのだろうと思う。

機械学習で反実仮想や自然実験が作れる: プログラマの思索

経済学は信頼性革命や構造推定により大きく変貌している: プログラマの思索

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戦略/組織/人事と組織の経済学シリーズを読んでいる

「戦略/組織/人事と組織の経済学」という書籍があったので読んでいる。
戦略の経済学組織の経済学人事と組織の経済学・実践編という3冊の本だ。
リンクをメモ。

どの本も枕にできるくらい分厚い。
中身も濃い。
専門外の分野なので、サラッと読んで理解できる部分だけつまみ食いしている。

僕は、戦略論や組織論を経済学の理論で分析しようとする流れが好きだ。
理由は2つある。

1つは、経済学という人文科学の中でも最も自然科学に近く、理論に基づいて仮説検証して実証科学に近づけようとする姿勢に共感できるから。
もう一つは、経済学の理論や武器を導入することで、大量の実データに基づいて、プログラミングと統計分析を駆使することで、有益な結果を得やすいこと。
特に、R言語やPythonなどの統計処理、あるいは機械学習や深層学習モデルを適用できるので、色んな可能性を秘めていること。
特にプログラマであれば、すでにAPIやライブラリは揃っているので、実データさえあれば、こういう本の理論に従って、新たな知見を生み出すこともできる。

面白い世の中だなと思う。

組織論の背後には経済学の概念があるという仮説: プログラマの思索

データ分析の面白さはどこにあるのか: プログラマの思索

データ分析の課題はどこにあるのか: プログラマの思索

統計学の考え方に関する感想: プログラマの思索

IT企業が経済学者を雇い始めた理由が面白い: プログラマの思索

経済学は信頼性革命や構造推定により大きく変貌している: プログラマの思索

ビジネスの基本戦略には規模の経済があるのではないか: プログラマの思索

機械学習で反実仮想や自然実験が作れる: プログラマの思索

Pythonデータ分析試験、Python基礎エンジニア試験に合格した感想~Pythonの機械学習や深層学習が目指すのは因果推論ではないか: プログラマの思索


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